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きた道アメリカ、オモテウラ

南部とはなにか?――世界遺産の街・ヴァージニア州シャーロッツビルを訪ねて

初めてのアメリカ・ロード・トリップへ
 約2年半かけてアメリカ本土48州を主に車で旅した私たちの最初のロードトリップは、2017年に連れ合いの仕事のためにワシントンD.C.にやってきて1か月ほど経った頃に行ったヴァージニア州だった。すぐお隣のヴァージニア州は、建国時の大統領を輩出した歴史ある州で、見所も多い。そこで、今となっては日帰りでいける程度の場所だが、アメリカの旅に慣れるつもりで3泊4日かけてヴァージニアを巡ってみることにした。
 家を出て、最初に立ち寄ったのはレストラン併設のワイナリーだった。どこまでも広がる緑の大地を眺めながら、気持ちの良いランチタイムだ。ヴァージニアは全米有数のワイン産地だそうで、多くのワイナリーがある。

 始まったばかりの地元ミュージシャンによるライブを背に、今日の主な目的地シェナンドー国立公園に向かった。アパラチア山脈の一部で、日本でもお馴染みの"カントリー・ロード"でシェナンドー・リヴァーと歌われている場所である。北側ゲートから入園し、ひとしきり車で走ってみた。植物に詳しくない私には日本でも見るような山道にしか見えないのだが、とにかく広い。北側から南側まで山の尾根を走るスカイラインは全長169kmもある。東京-軽井沢間をつなぐ道が全て1つの国立公園になっているくらいの距離だ。
 夜は公園内のロッジをインターネットで予約していた。敷地内にある遊具で子どもを遊ばせた後、夕食をロッジの横にあるレストランでとることにした。予約はしていなかったが、幸運にも窓際の席に案内された。シェナンドー川が蛇行しながら流れる谷と向こうの山々が美しく見える。サマータイムのアメリカの日の入りは遅く、夕日がそこに沈んでいくのをゆったりと眺めながら食事をすることができた。驚いたのは、山中だというのに、食事もワインも街中の良質なレストランと同等のものを提供していることだ。
 食事を終えると、横のラウンジでライブが始まるというので、もう少しそこに留まることにした。地元ミュージシャンがギター1本で弾き語りライブを始める。もちろん、カントリー・ロードも歌ってくれた。

 朝から夜まで各種イベントが行われており、この夜はNASAの職員が星空のもとトーク・イベントをしてくれるらしい。4歳の娘が参加するには少々遅すぎる時間で、諦めて私たちは寝ることにしたのだが。翌日も、小さな子どもでも歩ける短いハイキング道を楽しんだだけでなく、牧場で娘をポニーに乗せることができた。アメリカの国立公園は、日本でイメージする山のレジャーよりもずっと豪華な休日が過ごせるように開発されているようだ。

2人の大統領邸と白人ばかりの田舎町
 その後、私たちは小さな田舎町オレンジに向かった。2泊すると中日にオーナーが無料でワイナリーツアーに連れて行ってくれるというので選んだ小さなB&Bが、そこにあったのだ。夕方現地に到着すると、白い可愛らしい建物があった。中に入ると古い調度品が美しい。


 オーナーはとてもフレンドリーなマーティーさん・ヴィクトリアさんご夫妻だ。翌朝、ヴィクトリアさんの作る美味しい朝食を食べた後、この町一番の見所である、ジェームス・マディソンのかつての邸宅モントペリエを訪ねた。アメリカ第4代大統領で、アメリカ合衆国憲法の発布をしたことで名高い。今は史跡となっているこの邸宅は、かつては多くの奴隷を雇っていたプランテーションの母屋だったという。敷地の端には、奴隷たちが住んでいた小さな家も残されていた。
 その後、少々寂れたダウンタウンを歩きながら、ふと気がついた。この町で見かける人はみな白人なのだ。なんだか居心地の悪い感じがしていたのだが、原因はどうやらこのせいだったようだ。世界中のあらゆる人種・民族の人が歩いているワシントンD.C.からたった2時間で、随分人の景色が変わっていたのだ。プランテーションにいたアフリカ系(黒人)の奴隷の子孫たちは、一体どこに行ってしまったのだろうか。
 午後、マーティーさんが古いバンでワイナリーに連れて行ってくれた。週末だというのに宿泊客は私たちだけで、プライベートツアーだ。最初に近所のプレハブの建物の中に小さな試飲カウンターと売店を備えたこぢんまりとしたワイナリー、しばらく走ってフレイバーワインなど変わり種の種類も多い少し大きなところ、そして最後にガイドブックにも載っているようなレストラン付きの大手ワイナリーの3か所を案内してくれた。美しい農業地帯で目を楽しませながら、マーティーさんの丁寧なガイドに耳を傾ける。良い時間だ。
 翌朝、私たちはマーティーさんとヴィクトリアさんに別れを告げ、南に向かった。次の目的地はアメリカ独立宣言の起草で知られる第3代大統領トマス・ジェファーソンの邸宅モンティチェッロだ。ここは、近くの街シャーロッツビルと合わせて世界遺産となっている。モントペリエよりも大きく、ガイドが充実している。

 この邸宅も奴隷のいたかつてのプランテーションだ。私たちが列に並んで入場を待つ間、1つ前のグループのガイドがジェファーソンは奴隷を丁寧に扱い、教育をしていたのだと力説している。じきに、私たちの順番がやってきて、ガイドに連れられ中に入る。一部屋一部屋よく保存されており、ガイドは熱意にあふれていた。

悲劇の現場シャーロッツビル
 娘が飽きてしまった少々長すぎるガイドツアーを終え、私たちはシャーロッツビルの街へ向かった。到着すると、まず街中にある公園に足を踏み入れた。

 公園の真ん中に、黒いシートをかけられて中の見えない像がある。悲劇の現場だ。近所のヴァージニアをわざわざ最初の旅先に選んだのは、今シャーロッツビルに行ってみよう、という強い気持ちもあった。私たちがワシントンD.C.にやってきて2週間ほど経った頃、全米を揺るがせる大きな事件がこの街で起こっていたのだ。
 事件の概要はこうだ。この街では、南北戦争時に奴隷制維持を主張しアメリカ合衆国を脱退した南部連合国の軍を率いた名将ロバート・E・リー将軍の銅像の撤去計画が進んでいた。それに抗議するため、全米から武装した新旧の白人至上主義者が南部連合旗をはためかせて集まった。そして、それに反対するグループに参加していた地元の若い白人女性が、突撃してきた車によって死亡したのだ。今この黒いシートをかけられているのが、そのリー将軍の銅像だ。昨今、リー将軍の銅像や南部連合旗が、人種差別主義者のよりどころになっていると各地で撤去の機運が出ていた。
 正直言えば、私はリー将軍のことも知らなかったし、南北戦争といえば、世界史で習ったはるか昔の出来事だった。そんな古い人物の銅像――しかもそれは量産されあちこちの街町に飾られているごくありふれた像なのだそうだ――のために、若い命が2017年の今奪われたということに大変驚いた。
 少し離れた事件の現場では、テレビの中継が行われていた。どうやらロシアの放送局のようだ。

 現場近くでは、花が手向けられ、亡くなった女性Heatherの写真が飾られていた。

 街を歩くと、Heatherの名前を掲げた貼り紙があちこちに飾られ、彼女や多様性への想いが書かれていた。

 それを眺めながら、以前に見た川崎でのヘイト・スピーチの動画の音が頭の中でこだました。ヘイト・スピーチは日本でも広がっており、私が仕事をしてきた神奈川でも大きな問題となっている。世界はどこに向かっているのだろうかと、途方にくれてしまった。

南部を巡る旅へ
 今でもアメリカの人が"South(南部)"という時、それは地理の話ではなく、南北戦争時に南部連合国軍に加盟していた、そして今も保守的な、諸州を指している。地理的には北にあるヴァージニア州は「南部」であり、メキシコと国境を接するカリフォルニアやアリゾナは南にあるが「南部」ではない(それらの州は開拓された"West(西部)"であり、先住民迫害の歴史と表裏一体のアメリカの暗部を示している)。
 奴隷制と南北戦争の爪痕は、今もアフリカ系住民が貧困や差別の中にあるという以上に、アメリカ社会に深く残っているようだ。アメリカを知るには、南部とその歴史を知らなければならない。
――南部に旅に出よう。
 そう思う帰り道だった。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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