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オックスフォード哲学者奇行

哲学の生じる場:オースティンの2つの研究会(2)

オックスフォード大学出身の哲学者兼政治家であり、BBC(英国放送協会)で哲学番組の司会者をしていたことでも有名なブライアン・マギーは、つい昨年亡くなった(1930-2019)。彼の自伝は学生時代の男女関係などが赤裸々に語られていておもしろいが、オックスフォード哲学との関係では、彼がキーブルコレッジの学部生としてまだ哲学の勉強をしていなかったころの話がおもしろい。これは1930年生まれの彼が数年間の兵役を終えて学生になったばかりの、1949年ごろの話である。


マギーの何冊かある自伝のうち、オックスフォード時代について書かれているもの。マギーの著作は『哲学の現在』をはじめ、いくつか翻訳されている。

彼はキーブルのダイニングホールで食事をしているとき、ロン・アトキンソンという名の先輩にオックスフォードの日常言語哲学を教えてもらう。日常言語哲学で常に問われる問いは、「我々はこの言葉を通常どのような仕方で使うのか? どのような状況で人は実際にかくかくしかじかと言うだろうか?」であった。重要なことは、人々が使わないような文章であれば、その文章の意味を問うことは無意味な問いだということであった。

先輩のロンの意見では、マギーはまだ哲学者たちの思想の知識によって汚されていないため、そのような問いについてゆがみのない、それゆえ有用な答えを与えられるのだった。マギーにとっては、ロンとの長い、白熱する議論が、言語哲学と、言語哲学者が反旗を翻しつつあった論理実証主義への入門であったという[1]

この日常言語哲学の中心にいたのがJ.L.オースティンであり、その思想が生み出されていた場が「土曜朝の研究会」である。


キーブルコレッジのダイニングホール。クライストチャーチのものよりもさらに大きい。

戦前の「木曜夜の研究会」に比べると、戦後の1950年代に開催された「土曜朝の研究会(Saturday Morning Meetings)」はよく知られている。研究会に参加していたG.J.ウォーノックがまさに「土曜朝の研究会」という論文を書いているので、それを中心に紹介しよう。

ただし、最初に述べておくと、この論文は基本的にオースティンの愛弟子による師匠礼賛の文章である。ウォーノックは、この研究会では、「哲学が語られたり、教えられたり、学ばれたりするのではなく、哲学がなされ、哲学がその時その場で実際に生じていたのであった」[2]と述べているが、ウォーノックはもう大分前のことだったので何がそんなによかったのか思い出せないとも書いており、実際、何がおもしろかったのかは(少なくとも私には)よくわからない内容になっている。録音されなかった「伝説のライブ」のようなもので、いくら説明してもらってもその場にいなかった人にはわからないということかもしれない[3]

さて、ウォーノックによると、毎学期の始めにオースティンから小さな招待状が来て、招待状には「土曜朝の研究会」の開始時刻と場所だけが書いてあった。時間は通常10時半から13時までで、クローズドの研究会であるものの、出入りは自由、他に予定があれば欠席も自由。当時は哲学科の建物がなかったため、ベイリオールやトリニティなどのコレッジの、どこか使える部屋を使っていたようだ。オースティンが一番気に入っていたのは、一流企業の会議室のようなセントジョンズの部屋だったらしい。

参加者はスチュアート・ハンプシャー(彼は「木曜夜の研究会」にも参加していた)、R.M.ヘア、H.L.A.ハート、P.ノーウェルスミス、ピーター・ストローソン、J.O.アームソン、ウォーノックなどである。「木曜夜の研究会」は基本的にオースティンの同世代だったが、土曜の研究会は年下の若手哲学教員が多かった。前回述べたようにエアはロンドンで教授になっていた。また、年上のギルバート・ライルは教授だからという理由で招待されなかった。ライルは短い自伝の中で、自分がオースティンの「土曜朝の研究会」に招かれなかったこと、オースティンとは哲学の話をほとんどしなかったため、この研究会の存在は知っていたが、彼の死後に本が出るまで彼の思想をあまり知らなかったと述べている[4]

研究会は、誰か発表者を決めて発表や質疑をするものではなく、自由に議論していたとのことだが、前日の金曜日には哲学科の研究会があったため、その報告が話題になることもあったそうだ。また、テキストを決めて読み進めることもしていたようだ。たとえば、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』とウィトゲンシュタインの『哲学探究』はよく読まれたようだが、他にもフレーゲの『数学の基礎』、チョムスキーの『統語構造』、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』などが読まれた。とはいえ、段落や章を単位とするのではなく、最初から一文ずつじっくりと読むため、読み終わることはなかったそうだ。

また、日常言語学派的な探究をするときもあったようで、「傾向性(disposition)」の同義語をリストアップしてからその相同を議論したり、「使用(use)」とか「道具(tool)」などについても同じような議論をしたりしていたそうだ。ウォーノックはこの作業が楽しくて仕方なかったと回顧しており、日常言語における精妙な区別を発見しては感動していたようだ。

エアとオースティンの衝突が目立った「木曜夜の研究会」と異なり、「土曜朝の研究会」は哲学にありがちなグラディエーター的な衝突はなく、むしろ協力的で合意に到達することが重視されていたという。当然ながらオースティンが招待した者だけが参加していたので、オースティンに徹底的に刃向かおうとする者は参加していなかったとも言える。

個人的に興味深いのは、オースティンの研究会に法哲学者として知られるハートが出席していたことである。ハートは戦前に弁護士として働いたあと、戦後にニューコレッジで哲学のフェローをするようになったが、しばらくは勉強不足もあり学生のチュートリアルをやるのが嫌で仕方がなかったとインタビューで述べている。だが、土曜朝の研究会のおかげで哲学をやっていく自信がついたという。

ハートがいたニューコレッジ。法哲学の教授に選ばれるとユニヴァーシティ・コレッジのフェローとなった。他にも、『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスや俳優のヒュー・グラントなども卒業生である。

彼は研究会のことはあまり書いていないが、研究会以外にも、オースティンと一緒に「弁解(Excuses)」の授業をして、さまざまな判例を取り上げて議論をする中で、オースティンの遂行的発話の発想に大きな影響を受けたという[5]。周知のとおりハートは『法の概念』を1961年に出して一躍有名になるが、その中でも「強いられている(being obliged)」と「責務を負っている(having an obligation)」の区別など、いかにも日常言語学派的な分析を行っている。

オースティンはしばしばケンブリッジ大学のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと比べられることがある。ウィトゲンシュタインは1889年生まれなのでオースティンより20歳近く年上だが、1951年に前立腺がんで比較的早くに亡くなっている。ウォーノックはオースティンについて、ウィトゲンシュタインと比較しつつ次のように述べている。

「ウィトゲンシュタインと同様、オースティンは天才だった。しかし、ウィトゲンシュタインが一般人の考える天才のイメージに合致していたのに対し、不運なことにオースティンはそうではなかった。しかし、彼はイングランドの哲学者たちの大半に恐怖を与えることには成功した。(……)彼らが何か哲学的な文章を書いた後に、オースティンが無感情の、冷淡な声でもって読み上げるように読み返すと、彼らの体は凍りつくのだった。彼らの一部はオースティンが存在するという事実だけであまりにも怯えてしまい、オースティンが生きている間は一つも論文を発表することができないのだった」[6]

ほとんどヴォルデモートである[7]。ただ、「自分が可笑しいと思ったことを他人が笑うことを嫌った」ウィトゲンシュタインとは違って、オースティンは滑稽なジョークを言ってみなを笑わすのが好きだったという[8]

このようなオースティンの高い評判をとりわけ苦々しく思っていたのは誰であろう、オックスフォード大学出身ながらウィトゲンシュタインの弟子であるエリザベス・アンスコムだった。そこで次回はアンスコムの話をしたい。

 

[1] Magee, Bryan, Making the Most of It, CB Creative, 2018, ch.6

[2] Warnock, G. J., “Saturday Mornings,” in Essays on J. L. Austin, Clarendon Press, 1973, p.45

[3] ちなみにYouTubeではオースティンの講義の録音を聴くことができる。

[4] Ryle, Gilbert, “Autobiographical,” in Ryle, ed. by Oscar P. Wood and George Pitcher, Macmillan, 1970, p.15

[5] Sugarman, David and H. L. A. Hart, “Hart Interviewed: H. L. A. Hart in Conversation with David Sugarman,” Journal of Law and Society, 32.2, 2005, p.273

[6] Mehta, Ved, Fly and the Fly-Bottle: Encounters with British Intellectuals, Columbia University Press, 1983, p.60

[7] ヴォルデモートというのは哲学者ではなく、ハリー・ポッターの親の敵である。念のため。

[8] Warnock, G. J., op. cit., pp.32-33

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著者略歴

  1. 児玉 聡 (こだま さとし)

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。
    主な著書に『実践・倫理学』(勁草書房、2020年)、『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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