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私とあなたのあいだ――この国で生きるということ

第4便 木村友祐より(第1章 声と文字のあいだ)

温又柔さま

 

 朝夕はまだ冷えるからと、冬服のままでいたら、日中は汗ばむことが増えてきましたね。しとしとと雨が降ったりもしますが、あの骨身に染みいるような冷たさがゆるんだ今なら、外で暮らさざるをえない猫たちも、多少濡れても大丈夫だろうと思えるようになりました。水ぬるみ、猫もゆるむ季節となりました。

 その季節のせいというわけではなく、いただいたお手紙を読んだあと、その余韻が胸の下あたりに残り、通りを歩きながらふいに泣きそうになっていました。

 ただそこにいて、ただ生きているだけで、だれからも褒められて喜ばれたという祝福に満ちた時間。もうもどれない、ただ一度の経験だったのかもしれませんが、その記憶がどれだけその後の人生を支える力となることでしょう。そうなんだ、みんな、だれもかれもが、そのように祝福されるべきなんだ、人種だの、国籍だの、肩書きだの、容姿や資産や能力だのにかかわらず、ただそこにいるだけで無条件に喜ばれるべきなんだと思うと、どうにも感情が溢れそうになってしまうのです。

 そんなふうに心が揺さぶられるのは、そうはなっていないこの世界を同時に感じるからでしょう。ぼくがものを書く動機も、ただいるだけで許してくれない社会、その理不尽さへの反発にあるのだろうと思いました。

 それにしても、自身の来歴の根っこである台湾と、ずっと暮らしてきた日本というふたつの国に挟まれた、温さんの立っている場所のことを思わざるをえません。自身がよって立つ足元が、両者の間でつねに地滑りを起こしてしまうという。どちらかひとつに自身の根拠をさだめて絶対視したら楽になるだろうに、あえて不安定な足場に立ち続けることを選び、片方を排除せずに両方とも抱えて生きるとは、どういうことなのか。

「好去好来歌」の冒頭の、言葉を話せない赤ん坊の視点が描かれている場面は、象徴的です。赤ん坊といっても、成長した縁珠の意識で周囲を見ているのですが、言葉を発しようとしても、言葉以前の声しか出せない。でも、そこにはたしかに、感情を持って世界を見ている存在がいる。

 ぼくは読みながらこう想像するのです、その赤ん坊がもし、中国語や台湾語を話す家庭ではなく、別の言語を話す家庭に生まれていたらと。その子はやがて、当然、その別の言語を話すようになるでしょう。そしてもし、親の事情などでさらにちがう言語を話す国に引っ越したら、今度は苦労しながら、引っ越した先で話される言語で話すようになるでしょう。

 ほんとうは、だれもが、国籍というもの、人種というもの、習得する言語というものを選べない偶然性に左右されて生まれてきます。なのに、いつしか人々はそれを、何か絶対的なもの、特権的なものとして思いこむようになってしまう。だから、話せない人や、たどたどしい話し方をする外国の人たちを嘲って優越を感じる。その優越にはなんの根拠もないのに。

「好去好来歌」の赤ん坊の場面は、それに対する根本的な懐疑を読み手に気づかせる場面です。そして、作中で示される成長した縁珠の様々な驚きや違和感は、その地点からーーまだどの言葉にも固定化されていない時代の記憶からーー生じるものではないかと思います。

 同じように、作者の温さんが、言語の機能のおもしろさや不思議さに対し、いつも興味津々なのも、やはりそこから来ているのではないでしょうか。だからこそ、ぼくが書く方言小説にも、「標準語」からはみ出す日本語の多様性・複数性を見て、感応してくださったのでしょう。

 ……と、つらつらとわかったふうに書きました。ですが、ぼくは、ほんとうにそれをわかっているのでしょうか。どの言語を話すかは偶然性に左右されていて、特権的なものではありえない、それはそうでしょう。でも、生まれてからずっと、方言をふくむとはいえ日本語しか話してこなかったこのぼくに、複数の言語の狭間をしんどい思いをしながら日々“生きている”人たちの気持ちがほんとにわかるといえるのだろうか、と最近思います。

 これは、自分がわからないものに歩み寄ることもせずに「対岸の火事」などと言ってしまうような“想像力の硬直化”を正当化するのではありません。ぼくのこの一見物分かりのいい観念的な理解と、体でその現実を生きている人の経験との、見えない落差・隙間にこそ、目を凝らし、耳を澄まさなければならないのではないかという自戒です。だからこそ、他者の言葉を聴くこと、さらにその言葉の向こうにある言葉以前の声に耳を澄ますことが大切なのだし、実際に現場に自分の体を運ぶことが重要なのでしょう。

 これは、震災の被災地の人々の経験についてもいえるのではないでしょうか。でも、それを言うと、ぼくにはほんとうは、震災のこと、被災地のことを語る自信がありません。何を言っても、現地から離れた場所にいる者が、現地のことに勝手にうろたえ騒ぐみたいな言葉にしかならないだろうと思います。

 熊本の水俣地方では、他人の不幸をまるで我が事のように悩み惑う者のことを「悶え神」と呼ぶそうですが、それは水俣病患者に生涯をかけて寄り添った石牟礼道子さんを讃える言葉として用いられる一方、地元で使われる実際のニュアンスには、心配して身悶えして騒ぐけれど役に立ってくれない人、という意味もふくまれているそうです。ぼくはそっちのほうだろうと思うのです。

 あの日のあの時間、ぼくは、丸の内ビルの10階付近の外で窓拭きをしていました。一般に「ゴンドラ」と言われているカゴに乗って窓を拭く作業です。底辺にいる物書きゆえに、生活するためには書く以外の仕事もしなければなりません。五人が乗ったそのカゴが激しい地震の揺れにボンボン弾み、ワイヤーで吊られたカゴが振り子のようになって窓ガラスにぶつかっていこうとするのをみんなで必死に阻止しながら、このカゴに乗った男たちと一緒に、顔に笑いを張りつかせたまま死ぬのだろうかとふと思いました。それってヤだなと思っても、死ぬときというのは、こちらの思惑とは無関係にやってくるのだろうと、実感のないままに感じてもいます。そういう、冷静な意識があっても抵抗するすべのない無力さに直面する瞬間が想像されました。

 その後、深夜になってようやく動きだした電車に乗って家に帰り、先に帰宅していた妻と留守番していた猫の無事を確認してからテレビをつけて、東北沿岸部の壊滅的な状況を目の当たりにしました。車が、家が、波に乗って流されていくという見たことのない光景。暗闇を炎が赤々と照らすコンビナートの火災。それだけでもむごいと思うに充分でしたが、これがほんとうのことなのか、まだ非現実感がぬぐえません。

 ぼくにとって、被害の痛ましさが決定的に胸に刺さった瞬間というのは、声でした。だれかがYouTubeにアップした映像から聞こえた、津波から逃げる人に向かって年配の女の人が叫んでいた、「逃げでぇ、逃げでぇぇ!」という声。なじみ深い濁音まじりのその声に、ぼくは、まるで実家の近所のおばちゃんやおばあさんたちが悲鳴を上げているように思えたのです。おそらくそのときが、震災のことを自分のこととして受けとめるはじまりになったように思います。

 過疎化や少子高齢化が進む地域で、物質的に裕福とはいえないなかでも土地に根ざした暮らしをたしかに築いてきた人たちが、あのような未曾有の大災害に見舞われ、逃げ惑っている。しかも、それから数日間のうちに、福島の原発が冷却不能になって建屋が次々と爆発し、放射性物質が大気中にばらまかれてしまいました。胸がふさぐようなその経過に、ぼくが感じた率直な思いは、なんで東北がこんな目にあわなきゃならないのか、という怒りに似たやるせなさです。ひと言で言えば、悔しさ。

 その悔しさに突き動かされて、家族に持て余されていた暴力的な叔父のことだけを書くはずだった小説に、震災のことを強引に投げ込みました。「イサの氾濫」です。また、言葉で苦しさを訴えることができない福島の家畜動物たちの悲惨な状況を知り、「聖地Cs」という作品も書きました。

 時間の堆積のなかから余白のある間接的な言葉を紡ぎだすべき小説に、ぼくは「流動する今」と「直接的な言葉」を持ち込むという禁忌を犯したのだろうと思います。「ご乱心」というやつです。小説作法でいえば、やってはいけないことの筆頭でしょう。頭ではわかってはいても、震災後に郷里に帰って見た被害を見なかったふりをして作品をつくることができませんでした。「文学」という言葉にはどこか神聖な響きがありますが、今そこで呻いている人に向き合わない、そんな作り物のことをぼくは崇めていたわけじゃない。そのように、ぼくのなかにこれまであった文学の規範がぶち壊れてしまった、それがぼくにとっての「転換」の瞬間だったのだろうと思います。困ったことに、一度逸脱してしまったら、もう後戻りできないようです。

 けれど、ぼくはずっとどこかで引け目を感じてもいたのです。そうして書いたぼくの作品の中に、肝心の被災地の人々の声なき声は、どれだけ含まれているのだろうと。ただ単に東北と東京の狭間にいるぼくの煩悶を書いただけなのではないかと。だから、ぼくの作品が東北の声を代弁しているつもりになったことは、一度もありません。

 震災後の8年間でぼくらが見せられてきたのは、明らかになった東北と中央(東京)の力の不均衡を正すのではなく覆い隠し、復興を口実にして利益を誘導しようとする人々の姿でした。与党の政治家が口にする「被災者に寄り添う」という言葉の空疎な響きを、どれだけ聞かされてきたことでしょう。

 震災は、言葉がどこまでも空洞化していく状況のはじまりだったように思います。社会を形づくっているのが言葉だとすれば、その空洞化は、社会の根幹が崩れていくということです。それなのに、社会の自浄作用は働かず、むしろ、国を動かす者がウソをついてもなんとなく許してしまうという最悪の空気が形成されてしまいました。社会の底が抜けたのです。被災地の声はどんどん遠のき、もはやほとんど耳に届かず、かわりに心の伴わない耳ざわりのいい言葉や、仮想敵に意識を向けさせ、憎悪を煽る言葉が溢れだすようになりました。

 小説は、たしかに言葉と想像力による「遊び」です。坂口安吾はたしかそれを「イノチがけの遊び」と言っていたように思いますが、小説は、現実にとらわれた言葉の磁場から飛躍した、脳内が組みかわるような新たな世界を見せることが可能ですね。その意義や知的な楽しさは認めつつも、ぼくは、そうした遊びの場自体が潰されてしまいかねないときに、巧妙に言葉を壊していくものに対して言葉で対抗するのもまた、小説の重要な役割ではないかと思うのです。「復興五輪」だの、外国人労働者の受け入れ拡大をきめても「移民政策ではない」とうそぶく為政者たち。内実の伴わないそうした言葉の陰で見えなくされている者たちの声と姿を、小説は浮き彫りにできる。

 ただし、だからといって、当事者と自分の間の“見えない落差・隙間”を置き去りにしてはいけません。その落差・隙間を前にすれば、もう何も言えなくなってしまうかもしれないけれど、絶句して身悶えるところから、その深淵をそれでも越えようともがくところから、新たな言葉は生まれてくるのではないでしょうか。

 

 2019年3月20日  木村友祐

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著者略歴

  1. 木村友祐(きむら・ゆうすけ)

    1970年、青森県八戸市生まれ。2009年、『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。小説に『聖地Cs』(新潮社、2014年)、『イサの氾濫』(未來社、2016年)、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016年)、『幸福な水夫』(未來社、2017年)、『幼な子の聖戦』(集英社、2020年、芥川賞候補)。

    撮影/尾島敦

  2. 温又柔(おん・ゆうじゅう)

    1980年、台湾・台北市生まれ。3歳より東京在住。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。両親はともに台湾人。創作は日本語で行う。著作に『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、芥川賞候補)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年、日本エッセイストクラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『「国語」から旅立って』(新曜社、2020年)など。

    撮影/朝岡英輔

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