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きた道アメリカ、オモテウラ

大草原地帯を行く(後編):ブラックフィート先住民居留地でティピに泊まる

バイソンの消えた丘から
 グランド・ティトン国立公園を出た私たちは、すぐ北側にある世界遺産イエローストーン国立公園で、広大な自然の中さらに2日を過ごした。景色もさることながら、娘はバイソンの群れに出会ったことが一番楽しかったという。

   

 バイソンはかつてこの大草原地帯に広く生息しており、先住民たちの生活の糧であった。それが入植してきた非先住民たちにより、時に彼らの食糧源として、時に先住民の食糧源を断つために大量に殺され、数が激減してしまったという。
 広大なこの国立公園を後にした私たちは、次の目的地グレイシャー国立公園を目指して車を走らせる。公園の出口付近で、ワイオミング州からモンタナ州に入っていた。全米50州を旅した友人が、「モンタナの何もなさが一番良かった」と言っていたのを思い出しながら、本当に何もない緑の大地を走る。

 今夜はグレイシャー国立公園の東の麓に位置するブラックフィート先住民居留地で、先住民の伝統的住居ティピに宿泊予定だった。大手ホテル予約サイトを通じて、すでに全額宿泊費も支払済だ。助手席の私が、大体の到着時間をメールで宿に直接送った。すると、宿から「予約が見当たらない」と連絡がある。携帯の電波の入りにくい田舎道だが、電波の入るところを狙って予約サイトと宿主のアンゼリカさんに繰り返し連絡をする。結局、予約サイト側がキャンセル扱いで全額返金してくれることになり、今晩のティピを新規予約として宿に直接することとなった。
 7時間ほど走って、今日の宿ロッジポール・ギャラリー&ティピ・ビレッジにたどり着いた。チェックインカウンターでもあるギャラリーを訪ねると、アンゼリカさんが私たちを出迎えてくれた。名前を名乗ると、すぐに予約トラブルのあった客だとわかって、「いろんなメールが来すぎて、見落としたり、消したりしちゃうのよ!」と愚痴を言っている。そうするうちに、パートナーのダレルさんがやってくる。アンゼリカさんは彼を相手に、予約トラブルの話と大手予約サイトへの不安をぶちまけ始めた。なんだかホームドラマのようで微笑ましい。アメリカ中どこにでもいそうなこの白人(のように見える)夫婦のお二人が、この宿とギャラリーのオーナーだ。
 ギャラリーを出ると素晴らしい景色が広がっている。ギャラリーやリビングのある母屋は丘の上にあり、坂を降りていくと途中に小さなコテージが、下にはたくさんのティピがある。

 周囲を見渡せる母屋に、バーベキューグリルとテラス席があり食事ができるようになっている。私たちはスーパーで食材を買い、ここで夕飯を食べることにした。
 小さな町のスーパーで、ステーキ肉やサラダ、飲み物などをカゴに入れ、レジに向かうと、私たちが並んだレジは、一見して先住民とわかる若い女性が、隣のレジの人とおしゃべりをしながらレジ打ちをしていた。時折見せる笑顔から、歯がぼろぼろなのが見えて、胸が痛くなる。日本でも、貧困世帯で育った子どもたちの歯が「口腔崩壊」と表現されるほどボロボロになりがちであることが知られている。歯磨きをする習慣の形成や、親の余裕、食習慣などの問題に加え、医療費の問題もある。特にアメリカでは、歯科の保険と治療は驚くほど高額で、貧困層には手が出ないものになってしまっている。
 宿に戻ると、早速グリルで肉を焼き、簡単な夕食のスタートだ。

 しばらくすると、ダレルさん、部族の言葉ではEe-nees-too-wah-seeさん、がやって来た。素晴らしい景色ですねと伝えるとダレルさんが言う。
「ここにもバイソンがいたんだよ。大昔はね。時々骨が出てくるよ」
 このバイソンが消えた丘からの景色を眺めながら、しばしダレルさんと話をした。この広い草原にバイソンがいた頃を想像しながら。

都市インディアンから文化継承の担い手へ
 ダレルさんはフランス系アメリカ人と先住民の両親のもとにこの地で生まれた。一見して先住民とわからないダレルさんだが、ブラックフィート族の血は4分の1あり、部族メンバーとなっているそうだ。(誰が部族員なのかを、何分の1の血を引くのか「血の割合」で考えるのは、歴史的には様々な課題を含みつつも、現在ではやはり1つの条件となっているそうだ)
 その後、子どもの頃から主にシアトルに住み、軍人として勤め上げ、リタイアしてまたこの地に戻ってきたそうだ。現在では、先住民の78%は保留地外に住み、その多くは都市部に住んでいる。そう考えれば、都市部に住み外見ですぐにはそれとわからない先住民のダレルさんは、混血も進んでいる現代的には「典型的な先住民」だったのかもしれない。
 そんなダレルさんに、「どうしてこの地に戻ってきたんですか?」と尋ねてみた。
「自分はここの地で生まれた部族のメンバーだし、ここは私たちの大地だからね」
 そう答えた後、「主にね、文化かな。あとは政治」と続けてくれた。
 ダレルさんは日本にも2度訪れたことがあるのだそうだ。1度目は若い頃、軍人として日本に駐留していた時。2度目はこの地に戻ってきてから、日本で世界的な先住民の祭典が開催された際に、ダンサーとして参加してきたのだそうだ。ふと、ダレルさんが尋ねる。
「アイヌの人には会ったことがある?」
 私は、若者支援をしてきた私のところにかつて訪れた一人の女性を思い出す。息子さんについて相談にきていた方だ。
Yesと答えて、私は続けた。
「彼女は自分がアイヌだということを他の人には隠していたけれど」
「どうして?」
「悲しいけれど、差別があるからじゃないかな……。彼女との出会いは、私にとっては苦い経験なんだけど」
 そこまで話したときに、別のゲストがダレルさんを呼びにきた。何か設備に不具合があるようで、ダレルさんはそちらに行ってしまった。
 ビールを一口飲みながら、途切れてしまった言葉を自分の中で反芻する。10年ほど前に出会ったその彼女の話はいつも分かるようで、どこかわからないことが多かった。それは恐らく、私がアイヌの人たちが置かれている状況や歩んできた(歩まされてきた)歴史に対して無知であったからなのだろうと思う。短い相談の時間の中で彼女が語りきれない背景にあるものに、私がもっと思いを馳せることができたら、もっと一緒に何かができたかもしれないと後悔が残っているのだ。
 夕飯を終えた私たちは、ティピに降りて行った。地面の上に貼られたティピの中には3人分の寝袋が用意されている。

 ここは、アメリカ本土の最北端、カナダ国境はすぐそこだ。夜はかなり冷え込みそうだ。早速火を焚くと、娘はマシュマロを焼いてデザートにして喜んでいる。

 就寝後も、連れ合いが一晩中、火を絶やさないように薪をくべ続けてくれた。遠くから、シアトルとシカゴを結ぶ貨物列車の音が聞こえていた。

他国と先住民と共にある国立公園
 翌朝、テラスで朝ごはんを食べ、ギャラリーに立ち寄り、絵葉書や工芸品のアクセサリーを購入した。ちょうど母屋のリビングでは、子どもたちが集まり先住民のドラム作りのワークショップをしていた。
 宿を後にし、車を走らせると程なくグレイシャー国立公園に到着した。小さいながら、美しい景色で人気のある公園だ。北側はカナダ領内になっており、国境を跨いだ国立公園で、正式名称はカナダ側の名称も入れウォータートン・グレイシャー国際平和自然公園というらしい。
 入り口に到着すると、アメリカ国旗とカナダ国旗の中央に、ダレルさんも宿に掲げていたブラックフィートの旗がある。そうだ。ここは彼らの大地なのだ。

 ここでの先住民の歴史と文化の展示が見られるビジターセンターに立ち寄り、美しい景色を眺めながら混雑した道を抜け、峠を越える。今度はフラット・ヘッド先住民保留地に住む人たちの領域だ。湖を案内してくれるボートツアーのガイドも、先住民の歴史や文化の話に多くの時間を割いていた。こうした公園運営は、ダレルさんのいう「政治」活動の成果なのだろう、と推測しながら聞いていた。
 夕方、私たちは公園を後にした。その日は一泊モンタナの山奥の温泉で過ごし、翌日の夕方には西海岸はシアトルに到着する予定だ。

継承される文化と誇り
 この長い大草原地帯を行く旅を終えてワシントンD.C.に戻った4か月後の秋の日。あのブラックフィートの人たちがワシントンにやってくるというので、家族で出かけることにした。場所はスミソニアン系列の国立アメリカン・インディアン博物館だ。歌やダンスのパフォーマンスがあるという。
 到着すると、ちょうどイベントが始まる頃だった。人や文化、退役軍人の部族メンバーの紹介などを入れながら、様々な歌とダンスが披露された。娘は飽きることなく1時間以上最前列の床に座ってそれを楽しんでいた。特に、若い女性2人によるパフォーマンスが気に入ったようだ。

 パフォーマンスが終わって片付けが済んだ後、メンバーが観客の記念撮影に応じ始めた。私も混ぜてもらうことにしたが、カメラの数が多すぎて、メンバーたちもどこを向いていいか、迷いながらの撮影会だ。

 実はダレルさんもきていないだろうか、と期待していたのだが、残念ながら姿は見えなかった。代わりに多くの若い部族メンバーの顔がそこにあった。みんな良い笑顔だ。ブラックフィートの文化は確かに若い世代に引き継がれているようだ。あのバイソンの消えた丘で、今も文化を伝え続けるダレルさんを思い出しながら、朗らかな気持ちで帰途についた。


【参考文献】
鎌田遵著『ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在』(岩波新書)
阿部珠理編著『アメリカ先住民を知るための62章』(明石書店)

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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