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きた道アメリカ、オモテウラ

大草原地帯を行く(前編):ホー・チャンク族のきた道と荒野の西部開拓

大草原に音楽の架ける橋
 木枯らしの吹いた10月にしてはひどく冷え込んだ夜、私は娘を連れてワシントンD.C.にあるナショナル・カテドラルを訪れた。「ネイティブ・アメリカン・インスピレーション」と題されたコンサートを聴くためだ。
 演奏するのは、サウス・ダコタ・シンフォニー・オーケストラ「ラコタ・ミュージック・プロジェクト」のミュージシャンたち。先住民と非先住民の混合編成だ。先住民ラコタ・スー族はノース・ダコタ州とサウス・ダコタ州に暮らし、元々はこの地域を含むアメリカ中部の大草原地帯で狩猟生活を営んでいた部族だ。

 コンサートは、先住民伝統のパフォーマンスから始まった。娘も目を輝かせて見ている。続いて、私たちも訪れたチャコ・キャニオンの保護に尽力するニューメキシコ州選出の先住民女性国会(下院)議員Deb Haalandによる挨拶がある。そして、いよいよドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのソナチネが始まった。その後は先住民音楽と文化にインスパイアされて生まれた曲が年代順に演奏される。徐々に娘は飽きてくるのだが、私は感慨深く聴き入った。白人社会と先住民社会の長きにわたる緊張関係の歴史を超え、両者に音楽の橋をかけようというこのプロジェクトが奏でる世界に、3ヶ月に前に訪れた大草原の景色を重ねた。

ウィスコンシンから1500kmの旅路
「中を見てもいいですか?」
 7月の静かな朝、恐る恐る木の重いドアを開け、係員に尋ねる。
「もちろん! 歓迎です。ご案内しましょうか?」
 若い男性スタッフがとても嬉しそうに迎えてくれる。ここは、ネブラスカ州の東側、アイオワ州との州境にあるウィネバゴ先住民保留地にあるエンジェル・デ・コラ・ミュージアムだ。娘が説明に飽きて歩き回ってしまいそうなので、案内をしてもらうのは断念し、自分たちのペースで見て歩くことにした。
 すぐに目にとまったのは、この保留地に住むホー・チャンク族の強制移住の歴史だ。地図を見ると、ちょうど私たちは2日かけて彼らの旅路をなぞるように車で走ってきていたようだ。
 私たちのこのロードトリップは、金曜日の夜、ウィスコンシン州ミルウォーキーに降り立つところから始まった。五大湖の一番西側に位置し、街の歴史資料館の多くのスペースが禁酒法時代をいかに乗り切ったかということに割かれるビールの有名な街だ。

レイクサイド・プリュワリーでの地ビール試飲セット

レイクサイド・プリュワリーでの地ビール試飲セット

 翌日土曜日は北西に進みミネソタ州ミネアポリスへ、日曜日はさらに北西に進みノース・ダコタ州ファーゴを訪れた。コーエン兄弟監督・脚本で、狂言誘拐の起こす悲喜劇を描いた映画「ファーゴ」のタイトルとなった町だ。映画に出てくるバーでランチを食べ、午後は南下してサウス・ダコタ州の見所「スー・フォールズ」を訪れた。

 滝はそれほど大きなものではなく、少々ガッカリという感じだった。しかし、サウス・ダコタはスー族と他部族が連合してアメリカ政府と激戦を繰り広げ、多くの命が失われた場所である。その歴史に触れた展示もあったのは興味深かった。ここスー・フォールズの街は、冒頭紹介したラコタ・ミュージック・プロジェクトの本拠地でもある。先住民社会と白人社会に音楽で橋をかけようという取り組みの背景には、こうした歴史があるのだろう。
 夜はアイオワ州のスー・シティに宿泊し、翌日月曜日の朝、ミズーリ川を渡り訪れたのがウィネバゴ保留地のこの小さなミュージアムだ。ここまで1500km、日本でいえば本州最北の青森から一番西の山口県くらいの距離に相当する。
 ここまでの私たちのきた道を思い浮かべながら、ウィネバゴ族のきた道を改めてみてみる。私たちがファーゴに寄ってきたのを除けば、かなり似たルートだ。元々のホームランドであるウィスコンシンからの移動は1832年に始まっている。そこからミネソタへ、さらにサウス・ダコタへ、最後にここネブラスカへと段階を経て徐々に追いやられていった様子がわかる。

ホー・チャンク族の涙の旅路

ホー・チャンク族の涙の旅路

 自動車や高速道路のなかった時代には途方もなく長かったであろうこの距離を、どんな想いで移動してきたのだろうか、と想像すると胸が痛い。さらに、その後一部の人たちは元のウィスコンシンの地に戻り、ホー・チャンク族はネブラスカ・ウィネバゴ族とウィスコンシン・ホー・チャンク・ネイションの2つに分かれてしまった。こうした強制移住の歴史は、南のチェロキー族が強制移住させられた「涙の旅路」が有名だが、無数の部族にそれぞれの「涙の旅路」がある。
 娘は文化を紹介したコーナーを面白そうに眺めている。その横にあったメイン州でその回復への取り組みを見た同化政策に関する展示等は気の重くなるテーマだが、希望が持てたのは、今、経済的な回復や文化復興への取り組みが奏功してきているという最後の展示であった。部族の運営する大学の中にあるこのミュージアムも、文化復興の重要な役割を果たしているようだ。
 丁寧にお礼を言って、外に出ると静かで気持ちの良い場所だ。娘はしばし入り口付近のブランコで遊んで行った。

アメリカで一番小さな村を目指して
 走り出すとすぐに小さなウィネバゴ保留地から出てしまった。と言っても、特に何か景色が変わるわけではない。保留地にも、アメリカ中どこにでもある激安ショップチェーン“ダラー・ジェネラル”(日本で言う100円ショップのような存在だ)があり、教会があり、学校がある。集落を抜ければひたすら続く緑の畑だ。
 次に私たちが目指していたのは、人口たった一人の村モノウィだ。そこで、たった一人の村民である80代の女性が食堂を営んでいるという。確認すると、どうやら州道のハイウェイを使うルートは工事中のため、迂回しなければならないようだ。緑の畑を眺めながら進んでいくと、じきに未舗装のダートの道に入った。少々ぬかるんでいるところもあり、小さなレンタカーでは心許ないが、ここを進む他なさそうだ。しばらくすると、前方から大手宅配会社のトラックが走ってくる。こんなところでも、人が住み、物が届くのだから感心してしまう。さらに進むと、小さな集落がある。空を見上げると、よく晴れた気持ちのよい空だ。

 小川を渡って坂を登り、州道に出るとすぐにモノウィに着いた。

 中を覗いてみると、残念ながら休みのようだ。店の裏には小さな「図書館」もあり、その奥にこの村の住人エイラーさんの家らしき建物が見える。少し様子を見てみたが、ご不在のようだ。諦めて、食堂前のピクニックテーブルの椅子に座り、壁を眺めると「“ワールド・フェイマス”モノウィ食堂」と書いたビールのポスターが貼ってある。

 大袈裟なキャッチコピーが好きなアメリカではよく見かける謳い文句だが、ここは看板に偽りなしだ。イギリスのBBCニュースに取り上げられるなど全米で最も小さいながら世界的に有名な村なのだから。
 当然、周囲に他に食べるところは数時間なさそうだ。こんなこともあろうかと、電子レンジで温めたパックのご飯で握っておいたおにぎりを出して、昼食にすることにした。

バッドランズの西部開拓 
 そこから州道を走ること4時間近く、緑の大地の向こうに荒涼とした山が見えてきた。バッドランズ国立公園の一帯だ。閉園時間まではまだ少し時間があったので、公園の一番東側にある高台から景色を見ておくことにした。

 荒涼とした山々が連なり、とても人が暮らせる地域には思えない。それでもこの地域には1万1000年も前からマンモス狩りをして暮らしていた人々がおり、後には開拓民がやってきたらしい。徐々に、先住民は保留地に押し込められ、バイソンは牛に、草原は小麦畑に、馬は自動車に置き換わっていった。西部開拓は、先住民の排除・弾圧の歴史と表裏一体である。公園のリーフレットにも、この地域で数百名の先住民が虐殺された事件のことが書かれていた。

 その後、園内のロッジに併設されたレストランで夕食をとろうと行ってみた。しかし、残念ながら、改装工事中でお休み、結局電子レンジで温めるだけのパスタと、カップ焼きそばを売店で購入して、モーテルで食べることとなった。今日は1日食事には恵まれない日だなぁ、と思ったが、モーテルのテラスから雄大な景色を眺めながらの夕飯は案外悪くなかった。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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