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きた道アメリカ、オモテウラ

ルート66エクスカーション(後編):土煙を越えてチャコ・キャニオンの遺跡へ

山間のバス停を数えて
 タオス・プエブロから出発した私たちは、山間の道を西へ、もう1つの先住民の世界遺産チャコ・キャニオンへと向かった。ここは先住民の遺跡がありチャコ・カルチャー国立公園として連邦政府のナショナル・パーク・サービスが保護している場所である。これでルート66のエクスカーションとして見る遺跡は2つ目となる。1つ目はイリノイ州のイースト・セントルイスのあたりで、やはり世界遺産となっているカホキアだった。日本人にはおなじみの古墳型の遺跡だ。

 先住民と一口に言っても、南北アメリカ大陸全体に広く分布していたそれぞれの部族の暮らしや文化はさまざまだ。現在も部族ごとに異なる文化を持っているのはもちろん、かつての暮らしも豊かな多様性を持ったものだったようだ。
 ここまで主に州間高速道路と旧国道ルート66跡を通ってきたが、ここからは山間の一般道をかなり長い距離走ることになる。どんなふうになるのか、少々不安に思いながらのスタートだ。
 走り始めると相変わらず砂漠地帯が広がっている。途中、湖があるのが、とても貴重に感じられる。

 そんな砂漠地帯でも、道沿いに点々と集落があるのが興味深い。小さな集落が現れ、またしばらく砂漠が続き、また次の小さな集落が出現するという具合だ。1つ1つにもちろん名前があり、地図上でも確認できる。
 しばらく眺めているうちに、大概の集落にスクールバスのバス停があることに気づいた。子どもが乗り降りするので気をつけるよう書いてある。ざっと見るに1つの集落あたり数軒から、せいぜい20軒ほどの家が建っているだけだ。それでも、こんな荒寥とした山間の集落の多くに子どもがいるということなのだろうから、驚いてしまった。
 また面白いのは、昼ごはんをどこで食べるか考えていた時だ。オンラインマップ上で見ると、やはりいくつかの集落に1つアメリカの食堂“ダイナー”があるようなのだ。実際にその場に行ってみると既に閉店している様子だったり、定休日だったり、ランチはやっていなかったりと、結局地元ダイナーで昼食をとることは叶わなかったのだが。
 お腹が空いた頃、タオス・プエブロ内には先住民料理フライ・ブレッドやその上に具をのせたインディアン・タコスが売られていたのを思い出す。まだ時間が早くお腹が空いていなかったし、なんだか高カロリーそうだなぁ、と思って気が引けてしまい、結局買わずじまいだった。フライブレッドは代表的な先住民料理と言われるが、土地と伝統的な暮らしの術を奪われ、連邦政府から支給された小麦粉とラードで苦肉の策として150年ほど前から作られるようになった困難の歴史と結びついたものだ。実際、先住民の高い肥満率や糖尿病の罹患率の一因と言われているようだ。

後日ナバホで食べたインディアン・タコス

後日ナバホで食べたインディアン・タコス

 大きな山を1つ越えた頃、「キューバ」という名の町らしいものが近づいてきた。ガソリンスタンドに付属してマクドナルドがあるようで、結局、給油がてらハンバーガーを食べることにてしまった。これならフライブレッドでもよかったかなぁ、と少々後悔した。
 いつものハンバーガーを食べ、店を出てくるといかにも先住民らしい顔貌の男性が、立っている。アクセサリーを売っているらしい。ここニューメキシコに来てから、見た目でも先住民と分かる人をよく見かけるようになった。実際、ニューメキシコ州は23の先住民部族が住み、人口の10%近くを先住民が占めるらしい。

チャコ・カルチャー国立公園
 キューバを過ぎてさらにしばらく走ると、徐々に目的地チャコ・カルチャー国立公園が近づいてきた。しかし、そのかなり手前で舗装道路が終わってしまった。以降、未舗装の土の道が続く。はるか向こうに前の車が、土煙を巻き上げながら先に進むのが見える。
 地図を確認するも、どうやらここを行くより他なさそうだし、確かに公式サイトを見ても、どのルートから行っても最後は未舗装道路を通ることになっている。仕方なく、ガタガタとした道を進む。

 13マイル(20km弱)ほど走り、車が土まみれになった頃、国立公園の入り口にたどり着いた。

 入り口からしばらく進むとビジター・センターがある。そこで入園手続きを済ませ(と言っても、ナショナル・パークの年間パスを見せるだけなのだが)、地図をもらい、横で記念のスタンプを押す。

全米各地にある国立公園ではスタンプを集めることができる

全米各地にある国立公園ではスタンプを集めることができる

 外に出ると、少し雨が降り出した。急いで車に戻り、一方通行の園内周回道路をとりあえず車で回り始める。アメリカの国立公園は中の敷地も広大で、車でも案外時間のかかるものだ。
 しばし車を走らせると、周回道路の奥に出る。この辺りが、遺跡が集積した地域だ。車を降りるとすぐにいくつかの遺跡がある。
 雨はいったん止んだが、遠くには雨雲が見える。スマートフォンに雷雨注意報が表示される。雨がくる前にできるだけ見てしまおう。中西部では夏の突然の激しい雷雨は日常茶飯事で、落雷で人が亡くなることもあるようだ。とにかく、最も大きかったらしいプエブロ・ボニートを見ようと、慌てて歩く。遺跡の向こうに、激しい雷雨が降っているのがわかる。

 かつてはこの地域の文化的ハブの役割を果たしていたというこの辺りの歴史は、興味深い。先住民はそれぞれが独自の部族を作りながら、横の交流があったらしい。車で移動するのでも大変なこの地域で、彼らが緩やかなつながりを持ちながら生活していたということに感心してしまった。
 もう少し奥に歩くと、もう少しこの遺跡の全容を見られそうな場所や、別の遺跡があるのだが、落雷の音が鳴り響き始めた。これ以上進むのは危険そうだ。車に戻って雨雲の状況をオンラインでチェックするが、今日はもうこれ以上の散策は厳しそうだ。諦めて、この場を立ち去ることにした。
 来たのとは別の出口から20マイル(32km)ほど、今度は雨で泥となった道を進む。国立公園の敷地を出ると、こんな何もなさそうなところだが、沿道には所有地を示すかのように簡単な柵がはられている。途中、牛が道路を渡るのに出くわし、通り過ぎるのを待ったりする。

 やっと舗装道に出ると、そのまま西へと進む。気づけば、ナバホ・ネイションの領内だ。

 最後に南下し再びルート66に戻る。たどり着いたのはギャロップという町だ。これで、2日間のニューメキシコでのエクスカーションは終了した。

危機に瀕するチャコ・キャニオン
 さて、私たちがこの旅を終えた3か月後、4年に一度の大統領選挙の間に行われる大きな国政選挙(中間選挙)が行われ、下院議員として初の先住民女性国会議員が2人誕生した。歴史に新たな1ページを刻んだ1人は、アルバカーキを中心とするニューメキシコ州のこの地域から選出されたDeb Haalandだ。
 翌年の11月末、このチャコ・キャニオン地域の保護に関する法律が下院で採決されることを彼女は報告した(実際これは下院を通過した)。先住民が祖先から受け継いできた神聖なこのチャコ・キャニオンは、大手石油会社により開発が進み、危機に瀕しているというのだ。これを守るのが彼女の公約の1つであったようだ。確かに、チャコ・キャニオンの全てが国立公園として保護されているわけではない。国立公園よりはるかに広大なチャコ・キャニオンに、無数の遺跡が残されている。
 緑豊かな東海岸に戻ってくると、ニューメキシコはじめ中西部のあの荒涼とした砂漠地帯になぜかまた行きたくなる。そんな不思議な魅力があるのだ。次回、チャコ・キャニオンを訪れ、この遺跡の全容をゆっくり見ることのできる日まで、この場所が神聖な場所として残されていることを願ってやまない。


参考文献
鎌田遵著『ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在』(岩波新書)
阿部珠理編著『アメリカ先住民を知るための62章』明石書店
Sean Sherman with Beth Dooley “The Sioux Chef's Indigenous Kitchen” University of Minnesota Press

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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