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きた道アメリカ、オモテウラ

ルート66エクスカーション(前編):先住民プエブロ族の青いマリア

アルバカーキの結婚式
 ルート66上にあるアルバカーキにたどり着いたのは、ワシントンD.C.郊外の自宅を出発して1週間経った頃だった。アメリカ本土を車で旅してきた私たち一家だが、そのハイライトは、何と言ってもこの旧ルート66を走破した大陸横断往復の旅だ。
 その中で、日本からの旅行客にも人気のアリゾナ州のセドナやグランドキャニオン以上に印象深かったのは、ここニューメキシコ州アルバカーキに始まるエクスカーションだ。ここに来てガラリと街の景色が変わったのだ。スペイン式に作られた広場“プラザ”を中心にして、古いカトリック教会と先住民のプエブロ様式を(少なくとも見た目上は)踏襲した独特の造りの建物が並ぶ。アメリカの景色というより、いつかテレビでみたラテンアメリカの景色の方が近いような印象だ。実際、1848年に米墨戦争の結果としてアメリカ領になるまで、ここはメキシコ領だったのだから当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
 私たちは、まずプラザから少し離れたインディアン・プエブロ文化センターへ向かった。

 「明日また来てください」
 しかし、到着して入場券を買おうとすると受付の係員にそう言われてしまった。
 聞けば、このあと結婚式が催されるために貸切なのだそうだ。残念そうに明日にはサンタフェとタオスに行くのだと伝えると、「それなら左奥の展示室だけなら観ても良いよ」と親切に中に入れてくれた。エントランスの奥にある広々とした中庭に結婚式の準備が整っていた。
 展示室に足を進めると、4歳の娘は映像で観る先住民の歌やダンス、そしてキリスト教の宗教者の絵がたくさん飾られている一角に興味を持った。特に後者では前に座り、1枚1枚まじまじと眺めて、珍しそうにしている。この地域の先住民たちが入植してきたスペイン人たちにキリスト教に強制的に改宗させられ、元々の信仰や習慣を奪われていった歴史を伝える展示だった。
 最後に、奥の子どもコーナーで、ある部族に伝わる天地創造の物語を伝えた絵本を読んで、元来た道を戻る。

「ドレスの女の子がいる! かわいい!!」

 入場してきたウェディングドレス姿の新婦に娘は大喜びだ。その式は、ごく普通の結婚式に見えたし、新郎新婦も見た目にはアメリカ中でよく見かけるラティーノの若者という感じだ。とはいえ、見た目にはわからなくても、ここで式をあげるからには少なくとも新郎か新婦のいずれかが先住民、あるいは先住民にルーツを持つのであろう。
 しばし幸せそうな新郎新婦と参列者たちを眺めて、プラザに向かった。車から降りると、お隣オクラホマのむせ返るような暑さとは違うが、日差しはこちらの方が強い。日陰に入ると涼しいので、日向を避けながら、プラザをぐるりと歩いて、教会を眺める。一瞬、自分がどこの国にいるのか、わからなくなってしまいそうだ。

サンタフェからチマヨ教会へ
 翌朝、私たちは東西に走るルート66を離れ、北上してサンタフェへ向かった。サンタフェは1608年頃にスペイン人入植者によって建てられた、全米でも最も古い街の1つだ。到着すると、そこはアルバカーキの中心地をさらに大きくしたようなエキゾチックな街並みだった。もちろん中心に教会もある。

キリスト教徒となった先住民女性の像
      キリスト教徒となった先住民女性の像
 中心地はさまざまなアートや先住民の工芸品を扱うギャラリーやショップが並ぶ。サンタフェは、プエブロ族の文化復興を目的に始まった100年近い歴史を持つアート・フェスティバルでも有名だ。

 娘は、刺繍やビーズのあしらわれた先住民のハンドメイドのものを扱うショップで、鮮やかな青いワンピースを購入した。

 会計をしながら女性店員と話をすると、息子がワシントンD.C.郊外の私たちと同じ町に住んでいるらしい。若者が都会に出ていくのは、どこでも同じようだ。
 その後、洗練された雰囲気のスペイン料理屋で昼食をとり、サンタフェを後にした。ここからさらに北上して先住民の世界遺産の町タオスを目指すのだが、その前に山間のチマヨという集落にある教会に寄ってみることにした。痛みを治す力があるということでたくさんの人が巡礼にやってくるらしい。ラティーノの集落で教会の名前もサンチュアリ・デ・チマヨというスペイン語の名前がついているが、元は先住民の集落だったという話もあるようだ。
 車窓から外を眺めると、灼熱の太陽が照りつける荒涼とした砂漠が果てしなく続いている。アルバカーキから、こんな景色が続いている。
「とんでもないところに来てしまったなぁ……」
 こんなところで遭難したら、生き延びることはできないだろうと思った。かつてのスペイン人入植者たちは、こんなところによくぞ分け入っていこうと思ったものだ、とふと思う。金や銀への欲なのか、それとも布教への熱意と善意なのか。恐らく両方なのだろう。その布教への熱意が先住民の伝統的な信仰と暮らしのありようを破壊していたのだから、善意の空恐ろしさに背筋が凍りつく思いがした。
 主要道からも外れ、小さな集落をいくつか通り過ぎながら山間を進み、目指す教会にたどり着いた。

 4つのチャペルからなるこの教会は観光客と巡礼者で賑わっている。先住民やラティーノを初め30万人もの人が訪れるのだという。先住民がキリスト教を信じているイメージはなかったのだが、伝統的な信仰に基づく儀式などを残しながらも、現在は多くの先住民がキリスト教徒なのだそうだ。
 素朴な作りのチャペルの中では、実際に人が祈っていた。また、敷地内に多くの人が十字架などをかけ、自分の足跡を残しているようだ。

世界遺産タオス・プエブロと先住民の青いマリア
 夕方、タオスに到着した。この町の中心地も、やはりプラザを中心とした作りだ。私たちは、プラザの近くで雰囲気が良さそうだったLambert's of Taosというレストランで夕食をとることにした。中庭の席に座ると、夕方になると随分涼しくなったおかげで、気持ちがよい。


 帰り道、日の沈みゆく町を歩いた。サンタフェに比べるとこぢんまりとしているけれど、ギャラリーやショップが並び、花が植えられ、美しく整えられた町だ。
 翌朝、いよいよタオス・プエブロを訪れた。ここは土とワラを水で混ぜたアドビで作られた築1000年を超える伝統的なプエブロ様式の家に、今も150名ほどが実際に暮らしている。その他に、休みに戻ってくるために家を保有し続けている人も多くいるようだ。

※中は個人利用を除き撮影禁止だが、動画で様子がよくわかる。

 入場するとまずサン・ジェロニモ教会がある。中に入ると一見チマヨの教会と同様素朴な作りの教会という感じなのだが、聖母マリア像と壁画が目に留まった。世界中にある教会はそれぞれの地域の文化の影響を受けて特有のありようをしているものだが、この教会では、マリアの姿が他では見ないような印象を受けた。
 ショップやフードスタンドを通り過ぎ、十字架の並ぶ墓地と、古く小さな元々のサン・ジェロニモ教会の横に出る。さらにそこを過ぎると、大きなアパートメントといったアドビの建物が見えてくる。これが大きな見どころだ。現在も多くの人が中に住むということで、もちろん中には入れないのだが、外から見ただけでも圧巻だ。
 その後、Red Willowという小川を渡る。小さな小川だが、きっとこれがこの砂漠地帯でのタオス・プエブロ族の暮らしを可能にしてきたのであろう。しかも、この川は聖地である「ブルー・レイク」までつながっているらしい。パンフレットによれば、ブルー・レイクは20世記初頭にアメリカ政府の管理下に入ったのを、抗議活動が奏功して1970年に部族に返還されたのだそうだ。先住民への聖地の返還は、多くの場合難しいようで、珍しい事例のようだ。
 小川を隔てて南側で、私たちは中を見学がてら1軒の土産店に入ってみた。若い男性が民芸品を売っていたが、祖母の代まではここが住居だったそうだ。娘が日本の保育園の友だちに手紙を書きたいと言うので、絵葉書を購入した。
 限られた見学可能エリアをゆっくりと見て回り再度小川を渡る。橋を渡ると露店でアクセサリーが売られていた。ターコイズの青が印象的なものが多い。私も2つほど購入した。
 帰ろうとすると、娘がもう一度サン・ジェロニモ教会の中を見たいという。再度中に入って改めてマリア像を見ると、なるほど衣装が色鮮やかなのが特徴的だったのだと思い至る。ふと、聖地ブルー・レイクの名前や、この2つ日間で購入した青いワンピースやターコイズブルーのアクセサリーが思い浮かぶ。この地域の人たちにとって、青は特別な色なのかもしれない。壁画のマリアも鮮やかな青い服を着ているのだ。
 晴天の青空を見上げながら、次の目的地、9世紀から建築が始まったという先住民の遺跡を目指して車を発進させた。

【参考文献】
鎌田遵著『ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在』岩波新書
阿部珠理編著『アメリカ先住民を知るための62章』明石書店

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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