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オックスフォード哲学者奇行

ライルの大学院改革:オックスフォードの哲学教育(2)

10月から始まったミケルマス学期は12月第1週で早々に終わり、クリスマス休暇中はコレッジの部屋を空けなければならない学部生は荷物をまとめて帰郷した。トリニティコレッジやベイリオルコレッジが並ぶブロードストリートではクリスマスフェアが行われており、英国の12月は師走というよりクリスマスのプレゼントを買うのに忙しい時期と言えそうだ。

ブロードストリートのクリスマスフェア。12月上旬から毎日やっている。ちょうどクリスマスツリーの上に満月が出ている。

今年はクリスマスの2週間前に総選挙があり、さらに慌ただしい。選挙の結果、ボリス・ジョンソン首相の率いる保守党が過半数の議席を獲得したため、EU離脱の動きが加速することになりそうだ。

というわけで、今回は英国の政治と関係の深い話から始めたい。

前回、ヘアの「オックスフォード大学は哲学者のための学校」だという言葉を紹介したが、オックスフォード大学は政治家のための学校でもある。第二次世界大戦後15人の英国首相のうち、実に11人がオックスフォード大学出身だ[1]。残りの4人はケンブリッジ大学出身か、というとそうではなく、3人(ウィンストン・チャーチル、ジョン・メイジャーほか)は大学に行っておらず、残り1人(ゴードン・ブラウン)はエジンバラ大学である。首相に関してはほぼオックスフォード大学の一人勝ちと言ってよい。なかでも、政治家が数多く輩出しているのが有名な哲学・政治学・経済学(PPE: Philosophy, Politics and Economics)というコースである。

オックスフォード大学では第一次世界大戦終了後に改革が行われ、1920年にPPEコースが開設された[2]。これは元々は、植民地経営も含めた大英帝国の支配者層を育成するために作られたコースと言われる。実際、古くはハロルド・ウィルソンやエドワード・ヒース、最近ではデヴィッド・キャメロンなどの英国首相がこのコースを修了しており、また(今話題の)ミャンマーのアウン・サン・スーチーやメディア王のルパート・マードックなど、卒業生は錚々たる顔ぶれである[3]。現在でも人気のあるコースで、毎年700名以上の学生がこのコースを取っている。

実は、PPEの最初の卒業生の一人はギルバート・ライルであった。ライルはすでに前回紹介した古典学コースを優秀な成績で終えていたが、模範を示すために1年間でこのコースを修了した[4]。他にもフィリッパ・フットやピーター・ストローソンなどの哲学者がPPEコースを修了している。

オックスフォードはPPEコースの成功で味をしめたのか、第二次世界大戦後には哲学・心理学・生理学コース(1949年開設)、哲学・数学コース(同1970年)、哲学・物理学コース(同1971年)、哲学・心理学コース(同1972年)などの学部生用のコースが次々に作られ、現在は学部の8つのコースに哲学が含まれている。ただし、前回指摘したように、学部で哲学だけを学ぶことはできない。

ところで、PPEコースを最初に作ったのはオックスフォード大学だが、その成功を受け、米国をはじめ世界中の大学で似たようなコースが作られている。あまり専門化しすぎず、ジェネラリストを養成するという発想が受けているようだ。

日本では早稲田大学や明治大学などに政治経済学部があるが、なぜか哲学が抜け落ちている[5]。日本では哲学者がふがいないから抜け落ちたのか、あるいは抜け落ちているから哲学者が育たないのか。哲学は一般に論理的分析力や健全な批判的精神を身に付けるのに役立つが、それだけではない。政治哲学者のジョナサン・ウルフは、オックスフォードで哲学を学んだ学生が官僚や政治家となることで、ヘアの功利主義やロールズの正義論が徐々に公共政策に反映されていったと述べている[6]。「日本の政治家には哲学がない」と言われないためにも、ぜひ日本でも「哲」政経学部を設立してもらいたい。

オックスフォード・ユニオンの建物。政治家を目指す学生の多くはここで弁論術を鍛えると同時に、政界に出てから必要な人脈を築く。PPEコースと共に政治家育成に重要な役割を果たしているが、オックスフォード卒のエリート政治家が多い現状を問題視する声もある。

ライルは戦後の大学院改革にも大きな役割を果たした[7]。1945年にライルがウェインフリート形而上学教授になってすぐに着手したのが、B.Phil(Bachelor of Philosophy)の学位創設である。B.Philは、その名称からすると学士号のコースのように聞こえるが、2年間の大学院コースであり、哲学修士のようなものだ。

ライルの親友だった哲学者のジョン・マボットがクライストチャーチ大聖堂でのライルの追悼式のときにしたスピーチによると、戦前のオックスフォードでは大学院で哲学を研究しようとすると、博士課程(D.Phil)しかなかった。だが、D.Philに入ってしまうと、一人の指導教員のもとで「マルブランシュがヒュームに与えた影響について」などのような思想史的テーマについて博士論文を書くような勉強しかできず、現代の哲学的問題を勉強したり、哲学のいろいろなセミナーに出て他の院生と議論したりするといった機会が得られなかった。

実際に博士課程に行ったマボットの不満を聞いていたライルは、おそらくは複数の科目を並行して勉強するPPEコースで自身が学んだ経験を活かして、2年の間に3つの哲学上のトピックをチューターについて勉強して論文(essay)を書き、最後に博論と比べて短めの論文(thesis)を書くというB.Philコースを1946年に作った[8]

博論と比べて短めの論文にしたのは、ライルがD.Phil修了後に博論を出版する慣習に批判的だったからだ。ライルの考えでは、「若いうちに長くて出来の悪い本を書くよりも、年を取ってから短くて出来のよい本を書いた方がよい」[9]。実際、ライルが最初の単著(『心の概念』)を出すのは1949年の49歳のときで、途中に兵役があったとはいえ、かなり遅い。これはライルの教え子であるエアが20代半ばのときにさっさと『言語・真理・論理』(1936年)を出したのとは対照的である。もっとも、エアの本はその出来はともかく非常に短い本なので、若いうちに短い本を書くことをライルがどう評価したかはわからない。

ライルがマボットと相談しつつ作ったB.Philは大成功を収めることになる。オックスフォード大学のB.Philは英国だけでなく米国や豪州からも大勢の学生を受け入れることになり、その中にはJ.J.C.スマートやメアリ・ウォーノック、トマス・ネーゲル、ジェリー・コーエン、ピーター・シンガーなどが含まれていた。

B.Philができた当初は、B.PhilかD.Philのいずれかを取るという選択で、現在のようにB.Philを取ってから次にD.Philに進むというものではなかったようだ。例えば1940年代の終わりに大学院に進んだメアリ・ミジリーは、B.Philは論理実証主義に影響を受けすぎており、また哲学史を軽んじているとして、長ければ7年かかる可能性のあるD.Philを選んだという[10]。しかし、結局ミジリーは途中で博士課程をやめている。

1969年に豪州から渡英してB.Philコースに入学したピーター・シンガーは、メルボルン大学ですでに哲学修士号を取っていたが、哲学教員になるならオックスフォードのB.PhilがD.Philよりもよいという評判を聞き、B.Philを選んだという。ちなみにシンガーは、倫理学、政治哲学、マルクスとヘーゲル、という3つのテーマを選んで勉強し、最後の論文では市民的不服従の問題を扱った。市民的不服従の論文は、審査に関わったH.L.A.ハートの勧めもあり、2年後に本として出版している[11]

シンガーが所属したユニバーシティ・コレッジ。彼はオックスフォードにいる間に飢餓救済や動物解放の思想の基本的な部分を作り上げた。

時代が前後するが、1948年の秋から1年間でB.Philを終えたメアリ・ウォーノックは、1952年のオックスフォード哲学の状況について、大学院のB.Philおよび学部のPPEの成功のおかげで、哲学者が大いに増え活況を呈していたと述べている[12]。その頂点にいたのはライルとJ.L.オースティンだが、若きチューターたちによるセミナーも開催され、オックスフォード大学は「哲学者の学校」として黄金期を迎えつつあった。ジョン・ロールズがフルブライト奨学金でオックスフォードに来てハートの授業に出たり、アイザイア・バーリンとスチュアート・ハンプシャーが共同で開いていたセミナーに出席したりしていたのもこの時期である[13]

ライルは20世紀のオックスフォード哲学の礎を築いた功績を讃えられ、哲学科にはライル・ルームというセミナー室が作られている。

現在のライル・ルームの入口。

ちょうどオースティンの名前が出てきたので、次回は彼の話をしよう。

 

[1] Kuper, Simon, “How Oxford University Shaped Brexit - and Britain’s next Prime Minister,” Financial Times, no. July 2019, pp.1-15, https://www.ft.com/content/85fc694c-9222-11e9-b7ea-60e35ef678d2

[2] 前回紹介した古典学コース(Greats)と対照的に、近現代の哲学・政治学・経済学の古典を学ぶため、当初はModern Greatsと呼ばれた。

[3] ビル・クリントン元米国大統領も若いときにオックスフォードに留学に来てPPEを専攻したが、卒業しなかった。なお、PPE卒業ではないオックスフォード大学出身の首相としては、マーガレット・サッチャー(化学)、トニー・ブレア(法学)、テレーザ・メイ(地理学)などがいる。PPEについては前出の記事のほか、下記の記事が参考になる。Becket, Andy, “PPE: The Oxford Degree That Runs Britain,” The Guardian, 23 Feb. 2017

[4] Strawson, Peter, “Ryle, Gilbert,” Oxford Dictionary of National Biography, 2004

[5] 英語版Wikipediaの「Philosophy, politics and economics」にはPPEを提供している大学として、日本では早稲田大学のみ載っている。早稲田大学の政治経済学部の教育理念には「本学部の教育の根本をなす学問理念は、“Philosophy, Politics, and Economics”に集約されます」とあるが、その理念は学部名には反映されていないようだ。https://www.waseda.jp/fpse/pse/about/3policy/

[6] Baggini, Julian and Jeremy Stangroom, New British Philosophy: The Interviews, Routledge, 2002, p.49

[7] 以下のB.Phil創設についての話は、主に下記を参照した。Mabbott, J. D., “Gilbert Ryle ... : Address given by Mr. J.D. Mabbott ... Saturday 27 November 1976,” 1976; Strawson, Peter, “Ryle, Gilbert,” Oxford Dictionary of National Biography, 2004; Owen, G. E. L., “Gilbert Ryle,” Proceedings of the Aristotelian Society, vol.77, 1976, pp.265-270

[8] 現在は2年間に、理論哲学(形而上学や認識論など)、実践哲学(フェミニズムや倫理学など)、哲学史のトピックの中から少なくとも5つのテーマを選んで6つの5000語以内の論文を書き、最後に30000語以内の論文を書く必要がある。

[9] Williams, Bernard, “Ryle Remembered,” The London Review, 1979

[10] Midgley, Mary, The Owl of Minerva: A Memoir, Routledge, 2005, p.156 なお、夫のジェフリー・ミジリーはPPE修了後、B.Philを取ってさっさとニューキャッスル大学の哲学科に就職した。

[11] Singer, Peter, Democracy and Disobedience, Clarendon Press, 1973

[12] Warnock, Mary, A Memoir, Gerald Duckworth & Co. Ltd., 2000, pp.14, 17 ウォーノックは、夫のジェフリー(彼も哲学者である)に論文をほとんど書いてもらったと自伝の中で正直に書いている。

[13] Pogge, Thomas and Michelle Kosch, John Rawls: His Life and Theory of Justice, Oxford University Press, 2007, ch.1

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著者略歴

  1. 児玉 聡

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。現在、オックスフォード大学にて在外研究中。
    主な著書に『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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