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きた道アメリカ、オモテウラ

キューバに行けなかった話(前編) “リトル”ハバナの昼下がり

アメリカとキューバの難しき関係
――本当は“リトル”ハバナじゃなくて、“リアル”ハバナに行くはずだったんだけどなぁ……。
 そう、これからクルーズ船に乗り込みキューバに向けて出帆するはずだったのだ、当初の予定では。しかし、行き先は米領プエルトリコといくつかのカリブ海諸島に変更となってしまった。それで、私たちは旅の始まりにしては幾分か低いテンションで、フロリダ州マイアミのリトルハバナで昼食をとりながら、船に乗り込む時間までを過ごしていたのだ。
 スペイン語なまりの英語を話す店員たちはとてもフレンドリーで、食事も美味しい。

 店内にはアメリカ国旗とキューバ国旗が並んで飾られ、客たちがスペイン語で話しながら食事を楽しんでいる。

 普段であれば、他のどことも違うもう一つのアメリカの顔を楽しむことができていただろう。しかし、問題は、私たちは明日には本物のキューバの首都ハバナに到着しているはずだったということだ。
 歴史的に関係の難しいアメリカとキューバだったが、オバマ政権時代に関係が改善し、アメリカ国民がキューバに渡航するためのルートが開かれた。そのうちの一つがクルーズだった。渡航理由として許可されている教育活動、人的交流をしながら実際には観光もできるということで、ハバナだけでなくいくつかのキューバの都市に寄港するクルーズがあった。アメリカ市民ではない私たちはハバナだけを訪れるのであれば、メキシコなどを経由して入ればそれで済んだのだが、他の都市まで回ろうとすると、キューバ国内の移動がハード、かつ路線が不安定で難しそうだった。そこで、子連れにはラクであろうということでクルーズを選択した。ハバナだけでなく、革命とキューバ音楽の発祥の地サンティアゴ・デ・クーバをどうしても訪れてみたかったのだ。
 私たちが最初にキューバ行きのクルーズ船を予約したのは、ずいぶん前のことだった。当初は2019年4月のイースター休暇に予約をしたのだが、ツレの仕事の都合で4月が難しくなり、8月に予定を変更した。ところが6月4日、トランプ政権はキューバへの渡航制限を強化し、米国クルーズ船のキューバへの乗り入れ禁止を発表を発表したのだ。
 翌日クルーズ会社から届いたメールには、行き先が変更となったこと、それに伴いキャンセルする場合は全額返金、そのまま変更した行き先でクルーズに乗る場合は予約した室料の50%を船内で使えるクレジットとしてプレゼントするとあった。実際、キューバへのクルーズは危ないかもしれないと春先から聞いていた私たちは、変更先の中にプエルトリコかジャマイカが入っていればそのまま行こうと決めていたので、キャンセルせずにそのまま行くこととした。

ニワトリの歩く町
 涼しい店内から外は一転、蒸し暑く、日差しの強い南国だ。キューバ音楽のライブの始まったレストランの前を通り抜け、しばらく行くと市場のような商店があり、店先にはバナナが吊るされている。いかにも南の国といった生活感あふれる風景で、これがアメリカだということに心地よい違和感を感じる。

 今回は2度目のマイアミである。1度目は、アメリカに来て程ない頃だった。慣れない環境で苦労している娘のリクエストに応えてフロリダのディズニーワールドで3日間を過ごし、世界遺産のエバーグレーズ国立公園、有名な7マイルブリッジを渡ってアメリカ本土最南端のキーウェストまで行った帰りに、最終地としてマイアミに立ち寄った。その時は、マイアミビーチで過ごしただけで、正直言えば特に個性のないよく開発されたリゾートで、どこかで見た景色といったところだった。しかし、後からマイアミは「ラテンアメリカの首都」と言われる、アメリカでも特異な場所だと知り、ビーチだけで帰ってきたことを後悔していたのだ。ラテンアメリカ諸国から来ているワシントンD.C.の友人たちも、「どこに行ってもスペイン語で私たちにはラク」「みんな買い物しに(ラテンアメリカから)マイアミにくるよ」などと教えてくれた。
 目抜き通りから「キューバ記念大通り」を曲がると、小さな広場があった。

 CIA(アメリカ中央情報局)のキューバ難民部隊“Brigade 2506”が、カストロ体制打倒のために企てた1961年のピッグス湾侵入の記念碑が静かに建っている。ここリトルハバナは、キューバ革命により多くのエリートたちが1959年から60年にかけてマイアミに亡命してできた地区だそうで、Brigade 2506はそれに伴うCAIのリクルート活動の結果できた部隊だという。
 足元に目を移すと、ニワトリたちが歩き回っている。娘は記念碑よりもニワトリに大騒ぎである。ニワトリ自体は、アメリカの田舎に行けばどこにでもいるので珍しくはないものの、放し飼いなのか野良ニワトリなのか、町中を自由に歩き回っているのは、アメリカでは見たことがない。

 少し奥には大きな南国らしい木の下にマリア像がたち、花が飾られている。

キューバ系ウォーク・オブ・フェイム
 再び目抜き通りに戻り、今度はドミノ・パークを目指して、西に戻る。沿道にはキューバやキューバ音楽を感じさせるものが随所に見られ、目を楽しませてくれる。

 歩いていると途中ウォーク・オブ・フェイムがある。

 歩道に功績のあった著名人の名前を記すウォーク・オブ・フェイムはアメリカではよく見られるもので、日本ではハリウッドのそれがよく知られている。それ以外にも全米各地にそれぞれの地ならではのものがあり、これまでアトランタのキング牧師記念館の近くで最近も伝記映画化が日本でも話題となったローザ・パークスやスティービー・ワンダーなど公民権運動の功績者を、セントルイスの有名ライブハウス前ではチャック・ベリーなど伝説的な出演アーティストを、それぞれ称えるものを見たことがある。しかし、今回は一つ一つ星の中を見て歩いても誰一人知っている人はいなかった。

ドミノ公園を後にして
 さて、程なくドミノ公園にたどり着いた。なぜドミノ公園? と思ったけれど、なんということはない、公園内にドミノの台があり、皆がドミノゲームをして過ごしているのだ。なんとものんびりとした風景である。ボードゲームやカードゲームが大好きな娘は、混じりたくて仕方がないようだが、幼稚園児が参加するのはだいぶ難しそうな雰囲気だ。

 中をのぞいてみると、「マキシモ・ゴメス」の胸像が飾られている。この公園も正式名称は「マキシモ・ゴメス公園」らしい。台座に書かれたスペイン語を調べると「キューバの解放者」ということで、称えられているようだ。ここでいう「解放」は、キューバ革命ではなくて、キューバ生まれのスペイン人クリオージョたちによる19世紀に起こったスペインからの独立戦争のことだけれども。
 いよいよカリブ海に向けて出発する時間が近づいていた。最後に、土産店をのぞいて、入り口のニワトリの像に娘は手を振って、リトル・ハバナに別れを告げた。

 気づけば手元のスマートフォンには、その前の週にラティーノ、特にメキシコ系住民をターゲットにした銃乱射事件が起こったメキシコ国境の街エル・パソでコミュニティ作りに取り組むパオラ(彼女とはこの連載1回目で紹介したニューヨークで出会った)から、事件についての動画メッセージが届いている。既にアフリカ系住民の人口を超え、アメリカ最大のマイノリティとなっているラティーノ住民について、私は日本でほとんど知る機会なくアメリカにやってきた。日々出会うラティーノの隣人、友人たちや、旅先での出会いによって、少しずつその一端を知っているような状況だ。今回、メキシコに続きアメリカのラティーノのルーツとして多いプエルトリコ、さらにそれに続くキューバ系の多いマイアミを訪ねられるのは、良い機会かもしれない。今回は米国の中のラテンアメリカと出会う旅なのだ、そう思い直して、マイアミ港に向かった。

※参考文献
牛島万(2005)「革命と亡命の歴史――キューバ系の軌跡」
牛島万(2005)「米国最大のマイノリティ――ヒスパニック=ラティーノとは誰か」
(上記いずれも大泉光一/牛島万編著『アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』明石書店より)

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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