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残余の声を聴く――沖縄・韓国・パレスチナ

東アジアの米軍基地のなかで重なり合う暴力、浮かび上がる歴史 呉世宗

1.はじめに――二つの出来事から

 とある米軍基地建設予定地での出来事である。
 新基地建設のために旧学校の建物が強制収容され、取り壊されようとしている。校庭らしき場所で対峙しているのは、約一万人の機動隊とおよそ千人の市民である。
 ジュラルミンの盾と棍棒で武装している機動隊。それに対し市民たちが手にしているのは、竹。衝突が始まると、一人ひとりが長めの竹をしならせ抵抗するものの、その竹はすぐに割れ、使い物にならなくなってしまう。そうなるや市民を待ち受けているのは、機動隊による棍棒や蹴りの雨である。
 じりじりと機動隊が校舎に迫り、そして校内へ強烈な放水が始まる。この「水大砲」で人々が蹴散らされるなか、建物内の廊下では再び市民と機動隊が激突する。しかし力の差は歴然としており、あっという間に人々は建物の奥に追い込まれる。廊下で倒れ、もはや身を守ることさえできない人に対しても容赦なく盾で殴りつけつつ、前進してくる機動隊。
 しかしこの状況を予想していたのであろう、奥の部屋には人々がすでに集結しており、互いの腕を組み合わせ座り込んでいる。そして声を残された武器として、一語一語、迫りくる機動隊にぶつけるかのように叫び続ける。

 「暴力、警察、出、て、い、け!」

 だが一人ひとりごぼう抜きにされ、外に放り出されたある者は頭から血を流し、またある者は歩けなくなり、医療センターらしき場所に続々担ぎ込まれる。この日およそ200名が逮捕され、旧校舎は収容され、取り壊された1
 これは新基地建設が強行されている沖縄・辺野古での出来事ではない。駐韓米軍の編成のために新基地拡張建設地に指定された、韓国・平澤(ピョンテク)市で2006年5月に起こったことである。
 他方、同じと言っていいほどの状況が、米軍新基地建設が進んでいる辺野古でも起こっている。大浦湾を埋め立てるための資材等を搬入するゲートは一箇所である。基地建設に反対する人たちは、ダンプの侵入を阻止するべく朝早くからそのゲート前に座り込み、互いの腕を絡み合わせる。平澤の人々と同じようにである。そこに整然と動く機動隊が現れる。

 「帰れ! 帰れ! 機動隊帰れ!」

 叫ぶ人々に対し、マスクやサングラスをかけ顔を隠した機動隊が、座り込む人と人のあいだに無理やり足を押し込み、腕を掴み、数人がかりで一人をごぼう抜く、という暴力的行為を繰り返す。マスクの下では何かを喚いている。抵抗する人たちも、引き抜かれようとする人を離すまいと服を、腕を、脚を掴み、皆が座っている場所に戻そうとする。しかし機動隊に手を出すことはない。それは沖縄の人々が非暴力の抵抗というスタイルを、とりわけ阿波根昌鴻や伊江島の人たちの闘いから学んできたからだ。
 だが機動隊は、カメラが回っていても容赦なく引き抜き、どこかに連れ去っていく。強制的に連れて行かれる者たちは、一様に痛みを叫びとともに訴える。

 「痛い! 痛い! 痛い! 腕が折れるぞ! あーー!」
 「右腕をねじってる! 取って! 取って!」2

 人々が排除され、往来可能となったゲートの先にダンプが次々と消え、海が埋め立てられていく。
 戦争状態と言ってもよい、すさまじい状況が平澤でも辺野古でも起きているわけだが、この国家暴力、さらには軍隊がもたらす暴力は、米軍基地のあるところではほぼ同じように起こることである。他方でこの二つの地域の状況を見ながら私は、1950年代沖縄で起きた米軍による土地収奪を直接目撃したような錯覚にも陥った。
 それは東アジアに偏在する米軍基地が、その場その場で起こる基地被害や抵抗運動を他の地域でのそれと重ね合わせ、それのみならず基地の底から幾層もの歴史を図らずも浮かび上がらせるからである。


2.韓日間で連動する米軍基地再編と共有されるものとしての被害

 現在の韓日間で、互いにそれほど知られていないものの一つが米軍基地問題だろう。もちろんそれぞれの米軍基地の現状や歴史を詳述することはできないので、主に1995年以降の辺野古、平澤の米軍新基地建設の動向を中心に問題を見ていきたい。
 1995年、米兵3名が少女暴行事件を起こし、沖縄の人々の激烈な怒りを呼んだことは未だ過ぎ去らない出来事となっている。この噴き上がった怒りによって、在沖米軍基地の整理・縮小が議題として上がることになる。しかしその後、日米両政府が設置した「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」は、1996年12月、普天間飛行場を返還する代わりに辺野古に新基地を建設することで合意してしまう。ここから今に続く、辺野古新基地建設をめぐる人々の抵抗が始まるのである3
 ところで暴行事件のあった95年は、ソ連崩壊と91年の湾岸戦争への自衛隊派遣という事実を受け、日米安保の存在意義が問われていた時期にあたっていた。結果的に、米国は極東からアジア太平洋地域へと対応範囲を拡大し、それに合わせるように日本は、「日米防衛協力のための指針」を日本の平和や安全のためであれば周辺事態にも対応すると改定することで日米安保は「再定義」される。SACO合意はこの再定義の文脈の下にあると見ることができ、普天間飛行場の辺野古への「移設」は、米国の新たな軍事戦略に基づいた在日米軍基地再編の一環に他ならないものであった。
 他方95年以降、韓国でもやや時間差を伴って駐韓米軍の再編も行われることになる。駐韓米軍の再編は、基地が被害をもたらすだけでなく都市の発展も阻害しているという不満が韓国国内に溜まっていたところに、2002年6月の米軍装甲車女子中学生轢死事件が大きな要因となって実行に移されることになる。とはいえ、轢死事件の少し前(2002年3月)に米軍が基地再編計画にあたる「連合土地管理計画」を韓国側に提案していたことからすれば、日本と韓国の米軍基地は、対応範囲を拡大しようとする米国の軍事戦略のもと連動して再編されたとみることができる。
 駐韓米軍の再編は、ソウルにある龍山基地よりも南後方に、すなわち38度線からさらに遠ざかる地点に散らばっている基地を集中・「移転」させる計画となった。このこともまた地理的な場所変更に留まらない米国の東アジア戦略の狙いが現れであった。つまり朝鮮民主主義人民共和国への即応的な対処だけに縛られない自由な軍事行動を、すなわち中国を主に視野に入れつつ、対テロや他の紛争地域の対処へと米国の役割を拡大するための編成であったのである。
 この韓国における戦略転換を、後に米国は「戦略的柔軟性」と呼ぶことになる。これは1953年に韓国と米国の間で調印された、韓米相互防衛条約の文言の曖昧さを利用した戦略および命名とも言える。というのもその前文には、「いかなる潜在的侵略者も、いずれか一方の締約国が太平洋地域において孤立しているという錯覚を起すことがないようにするため、外部からの武力攻撃に対して自らを防衛しようとする共同の決意を公然と且つ正式に宣言することを希望し〔…〕」とあり、「潜在的侵略者」や「錯覚」などがそもそも解釈次第であったからである4。いずれにせよ「戦略的柔軟性」は、「侵略者」を「柔軟」に解釈したうえで軍事行動に移るという米国の意志を示す命名であった。
 駐韓米軍の再編は、2002年の「連合土地管理計画」、そして2004年の「龍山基地移転協定」によって具体化する。100以上に散らばっていた基地を平澤圏と大邱圏の二大中心地に各々「移転」させ、再編成するものである。そこには米第2師団や国連司令部も含まれており、そのためこの「移転」は、二大中心地にもともとあった基地の拡張を伴うこととなった。「移転」完了後の基地総面積は800万坪を超える大きさとなる予定であるが、それはもとの基地面積を2倍以上拡張するものであった。所属人員も二つの主要基地あわせて5万人増員の6万1千名超となる。これらの数字だけを見ても、基地の「移転」や「移設」は、土地、人員、機能などにおいて大きな変更をもたらしうるものなのである(単純な比較はできないものの辺野古で強行的に建設されている新基地も、滑走路に横付けで軍艦が停泊できる設計になっており、平澤圏と同じような機能が拡大的に与えられようとしている)。
 この米軍の役割拡大を象徴する新基地建設の場として選ばれたのが、平澤市である。平澤市にはもともと北部に烏山(オサン)エアベース(ソタンK-55空軍基地)が、南部にキャンプ・ハンフリーズ(彭城K-6陸軍基地)があり、その他アルファ弾薬庫と夜戦訓練場もある。ここに他の基地が統合されることとなったのである。米軍基地拡張「移転」事業が完了すると、平澤は在韓米軍司令部、国連軍司令部を備える世界最大の米軍国外基地となる。

 

 上の図が2002年時点での駐韓米軍基地の配置状況であり、下の図が「移転」完了後である。(写真は平澤平和センターのウェブサイトから(http://www.peacept.org/))

 この基地の再編に並行するように拡大しているのが基地被害である。そしてこれも韓国と沖縄の状況を重ね合わせる。
 基地は様々な被害を近隣にもたらすが、環境への影響は深刻な問題の一つであろう。韓国でも沖縄でも騒音、土壌汚染、水質汚染、射撃訓練上での繰り返される誤射などが明らかになっている。2000年には、龍山米軍基地から毒物が漢江に放出されるという事件も起こった。映画『グエムル』の背景である。また駐韓米軍基地の再編にともない返還された土地もあるが、深刻な汚染状態で戻されている。枯葉剤が秘密裏に埋められたという証言も存在する。つい最近沖縄でも、普天間飛行場周辺で深刻な水質汚染が確認された。韓国での環境問題に関しては、中学生二人の轢殺事件(2002年)を機にSOFA(韓米行政協定)が見直され、改善的に環境条項も設けられた。しかし依然として環境問題は、韓国でも沖縄でも日常的に起こり続けている(もちろん強姦、殺人、窃盗、ひき逃げ、飲酒運転、家屋侵入など、米軍、米兵による犯罪行為もとどまることを知らない問題となっている)。
 平澤に目を向けるならば、オサン空軍基地配備の軍用機が巨大な騒音を発生させ、キャンプ・ハンフリーズも陸軍基地でありながら滑走路を備えているため、ヘリコプターの騒音が近隣住民たちを悩ませいる。騒音の精神的ストレスによる自殺率の上昇、食欲不振の訴えやうつ病診断の増加、記憶力や集中力の減退、初期妊娠での流産などが基地周辺の調査で報告されている。基地拡張によりこれらの被害がさらに拡大することが予想されている。
 これらもともとあった基地被害に加わったのが、基地拡張のための土地収奪である。米軍基地拡張・移転計画が韓国国会で批准されると(2002年)、当然のことながら平澤市住民の反発が強まる。それへの対策として韓国政府は「駐韓米軍基地移転に伴う平澤市などの支援等に関する特別法」を制定し(2004年)、自主的に土地を明け渡せば手厚く補償金を支払うとすることで土地の確保を図ろうとする。しかしそれでも応じない住民が多数にのぼると、韓国政府は中央土地収用委員会で土地の強制収容を決定し、さらに米軍基地拡張予定地を軍事施設保護区域と指定した。軍事施設保護区域に指定したのは、住民の判断を問うことなしに土地の接収ができるようになるためである。最終的に政府は行政代執行を行い、韓国軍や警察の動員、それだけでなく民間警備会社、ヤクザなども利用して強制的に土地収奪を実行した。本稿冒頭で再現した人々の叫び――2006年の出来事――は、まさにこの土地収奪に対して発せられたものであった。
 さらに付け加えるならば、2015年には米国の軍研究所から炭疽菌が平澤・烏山(オサン)の米軍研究所に配送されるという事件が起きている。炭疽菌の移送や研究自体が国際的に禁止されているにもかかわらず、である。当初米軍は単純な誤配であったと説明したが、市民たちの追求によりそれが嘘であることが判明し、それだけでなく米軍基地で細菌兵器の実験や訓練が行われていたことも明らかとなった。
 これらの事例を少しだけ取り上げるだけで、もはや沖縄での土地収奪や基地被害などの現状や歴史と見分けがつかなくなってくる。
 沖縄でも軍用機の騒音が難聴や精神的ストレスをもたらしており、また土地収奪の仕方は50年代の「銃剣とブルドーザー」と言われたやり方と重なってくるものである。金をばらまいて明け渡しを強いる仕方も沖縄で現に行われていることである。そのような政府のやり方が社会に葛藤をもたらしていることも、国境を超えて見られるものである。
 また炭疽菌事件は、沖縄で1969年に起きた、旧美里村(現沖縄市)にあった知花弾薬庫で起きたVXガスの流出事故を想起させるものである。事件が報道されると、米軍はしぶしぶ秘密裏に毒ガスを持ち込んでいたことを認めた。VXガスは71年9月に白昼堂々と旧具志川市まで運ばれ、そこから米国領ジョンストン島まで移送された。平澤でも沖縄でも人々の知らないところで危険物が持ち込まれ、かつ間接的にではあれ住民を加害者にしてしまうかもしれない訓練が行われていたのである。
 要するに人々は、国境をまたぐ米国の軍事戦略と基地の存在によって、同じような被害や暴力を時間差をともなって被るのである。そのため韓国と日本・沖縄の間では、一方の側で先行的に何らかの事件が起きたかと思えば(例えば1992年の尹今伊殺害事件)、もう一方の側で遅れて同じようなことが起こり(例えば2016年のうるま市女性殺害事件)、その逆もありうるという折り重なりあう関係にある。それは起きた事件が即座に共通する歴史と化すという構造である。そのため今現在起きている問題の詳細や行方を知りたければ、相手方の基地やその被害の歴史を参照することが基礎的作業となろう。辺野古基地に関して言えば、平澤での状況が参照先になるし、また済州島・江汀(カンジョン)でほぼ完成してしまった韓国海軍基地を見れば、新基地建設の行方や韓国軍と米軍の新たな協働的な体制が見えるということになる。

3.米軍基地の下に潜む歴史

 さらに東アジアにおける米軍基地問題は、旧日本軍の歴史、日本の植民地の歴史とも深く関わりあっている。
 キャンプ・ハンフリーズは、もともと植民地期に日本陸軍が建築し、朝鮮戦争の最中である1952年に米軍が接収した基地である。住民たちは自らが暮らす土地から、日本軍と米軍によって二度も追い出されたことになる。沖縄も同じような歴史を共有しており、現在の嘉手納基地は、日本軍が戦時中に建設した飛行場を米軍が接収したものである。また普天間飛行場は沖縄戦時に米軍が土地を接収し建設したが、その目的は日本「本土」での決戦に備えてのことであった。つまり日本の植民地支配、あるいは無謀でしかなかった沖縄戦が行われたが故に今の米軍基地があるのである。
 そのような歴史は単に過去の出来事としてあるわけではなく、ときに応じて浮かび上がる生きた地層である。そして現在この地層は、2011年に打ち出された米国の「アジア回帰」戦略を契機にして改めて焦点化されている。
 本来であれば米国の東アジア戦略を検討するには、少なくともここ20年間に米国のシンクタンクなどが提出した、各レポートやシミュレーションを分析する必要があろう。しかし本稿では、95年以降の米国の東アジア戦略の延長線上にある、オバマ政権時に提唱された「アジア回帰」戦略だけを少しばかり確認し、基地の底から浮上する歴史を見てみたい。
 米国のアジア回帰戦略とは、9・11以後の中東への軍事的介入主義から、主として中国を牽制・封鎖するためにアジア・太平洋に経済・外交・軍事上のウエイトをシフトさせる戦略であるが、そのために東アジアにおいては、主要同盟国である韓国と日本との軍事同盟体制をさらに強化させるものである。韓国・星州への高高度ミサイル防衛システム(THAAD)の導入、自衛隊の集団的自衛権の行使を可能にする安保法制の制定、宮古島への陸上自衛隊警備部隊(ミサイル基地)の配置などがアジア回帰戦略を具体化するものとなっている。
 より重要なのは、アジア回帰戦略が軍事同盟を日米、韓米といった二国間関係から多国間関係へ発展させようとするものであり、そのために韓日間の軍事協力の強化を求めるものであったことである。もちろんこれまでにも、例えば2015年5月の韓米日国防長官会談で対朝鮮民主主義人民共和国のための軍事体制強化がうたわれたように、韓日の軍事協力関係は米国の戦略のもと維持されてきた。しかしアジア回帰戦略においては、韓日間の軍事協力の強化がより一層求められることとなったのである。2015年10月、海上自衛隊の軍事パレードに韓国海軍の軍艦が初めて参加したことは、推進される協力関係を可視化するものであった。さらに、現在まさに問題となっているGSOMIA(軍事情報包括保護協定)――軍事機密情報を互いに提供し合うことを約束する協定――が2016年11月に韓日間で締結されたことは、両国の軍事協力関係強化の実践であった。
 ここで見逃していけないのは、GSOMIA締結に先立つ2015年末、いわゆる「慰安婦合意」が結ばれたことである。1965年の日韓条約が、韓日両国をベトナム戦争に協力させようとする米国の後押しもあって歴史認識問題を棚上げしたまま締結されたのと同様、「慰安婦合意」もまた米国の軍事戦略の遂行ために韓日間で歴史認識の共有を図ること、すなわち実質的に歴史的事実の抑圧が生じたのである。その意味で日本軍「慰安婦」問題の「最終的で不可逆的な解決」を日韓両政府が「合意」したことは、米国のアジア回帰戦略が円滑に遂行されるための地ならしであった。つまるところ性暴力の被害者を置き去りにしてなされた同「合意」は、東アジアにおける軍事協力・同盟強化が歴史記憶の否認、抑圧のうえに成り立っていることを垣間見させるものであった。
 しかし韓国で「慰安婦合意」に対する広範囲で強力な抵抗が起き、また日本でも、あいちトリエンナーレにおいて「表現の不自由展・その後」で「平和の少女像」が展示され、そしてそれが公開中止に追い込まれてなお問題を提起し続けていることは、もはや再び隠蔽することが不可能なまでに歴史が可視化され続けているということである。のみならず韓国と日本両方で現れたこの「平和の少女像」は、米国の軍事戦略に巻き込まれることで、日本の植民地支配の歴史と米国の東アジア戦略を批判的に結びつけ文脈化している。そのためこの碑を日本と韓国の関係だけでみるのは不十分である。
 基地の底からこのような歴史が時に応じて浮かび上がる以上、基地問題は日本の植民地支配などの歴史とともに見ていく必要がある。

 米国の軍事戦略に基づく沖縄、平澤、済州などでの基地問題は、日米、米韓、韓日を総体的に見なければならない。そのさい現在的観点からの被害の重なり合いだけでなく、歴史的出来事の何が否認されながら同盟関係が維持・強化されているのかを捉えていく必要がある。
 もちろんそのような広い認識を求めることが、現在の戦争状態のような現場に対して何かしらの貢献を直接的になすことはむつかしいだろう。しかし辺野古新基地建設反対の座り込みに参加している、戦争体験者の次の証言は傾聴に値する。インタビュアーの「〔沖縄戦の際に〕死体もいっぱい見ましたか?」という質問に対し、その女性は、

 「見たよ。〔夜に〕みんなが寝てるから、そこで寝たら、あくる日起きたらみんな死んだ人〔だった。〕」5

と答えている。つまりこの戦争の記憶こそが、その女性をして座り込みに駆り立てているのである。私たちが被害や歴史の重なり合いの認識を手にしながら自分のできる範囲で、あの現場、その現場に赴くことは、米軍基地が偏在する東アジアだからこそ逆説的に可能となる、歴史認識の深まりに基づいて平和を普遍化していくことに寄与するのではないだろうか。次の私の回では、沖縄で始まっている新たな歴史記憶の掘り起こしについて紹介したい。


1 以上、『ピョンテクの闘い』(撮影・編集:中井信介、製作:森の映画社、2019年)より。
2 以上、ドキュメンタリー映画『SAVE HENOKO』(森の映画社、2018年)より。
3 本稿では韓国の基地についての記述が多くなるが、現在の辺野古新基地問題に関しては次の文献を参考にしていただきたい。林博史『米軍基地の歴史――世界ネットワークの形成と展開』吉川弘文館、2012年。前泊博盛『沖縄と米軍基地』角川書店、2011年。宮城大蔵・渡辺豪『普天間・辺野古 歪められた二〇年』集英社、2016年。
4 韓米相互防衛条約の日本語訳は、次のサイトを参照した。http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19531001.T1J.html
5 森の映画社『SAVE HENOKO』より。

参考文献
2016沖縄韓国平和交流実行委員会主催、第9回『東アジア米軍基地 環境・平和 国際シンポジウム』(2016年)シンポジウム資料
第10回東アジア米軍基地環境・平和シンポジウム実行委員会主催、第10回『東アジア米軍基地 環境・平和 国際シンポジウム』(2017年)シンポジウム資料
基地平和ネットワーク、韓国沖縄民衆連帯主催、第11回『東アジア米軍基地問題解決のための国際シンポジウム』(2018年)シンポジウム資料
 ※これらの第9~11回のシンポジウム資料は金善宇氏から提供していただいた。記して感謝する。またこの資料は沖縄、神奈川、京都、平澤、済州などの基地問題の現状を知る上で非常に有益である。
新崎盛暉『沖縄同時代史 第八巻 1997.7~1998 政治を民衆の手に 問われる日本の針路』凱風社、1999年
鵜飼哲「戦争の克服」『主権のかなたで』岩波書店、2008年
データベース「世界と日本」(韓米相互防衛条約の日本語訳文を参照した)、http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19531001.T1J.html(最終閲覧2019年9月18日)
森の映画社(撮影・編集:中井信介)『ピョンテクの闘い』、2019年(非売品)
森の映画社『SAVE HENOKO』、2018年
평택평화센터のウェブサイト、http://www.peacept.org/(最終閲覧2019年9月10日)

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著者略歴

  1. 呉世宗

    1974年生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程修了。博士(学術)。琉球大学人文社会学部准教授。主な著書に、『リズムと抒情の詩学――金時鐘と「短歌的抒情の否定」』(生活書院、2010年)、『沖縄と朝鮮のはざまで――朝鮮人の〈可視化/不可視化〉をめぐる歴史と語り』(明石書店、2019年)。主な論文に「金嬉老と富村順一の日本語を通じた抵抗」(『琉球アジア文化論集』4号、2018年)、「到来する歴史、積み重ねられていく小さな時間」(『越境広場』4号、2017年)など。

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