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オックスフォード哲学者奇行

「ロンが生きてるなんて珍しいね」

いま私が住んでいる家のそばには、ロンという老猫がいる。ハリーという兄弟ネコはとても元気でいろいろなところを歩いているようだが、ロンはいつも死んだように歩道で寝そべっている。ロンは至近距離まで近付いてもピクリともしないことがあるので、今日こそ死んだのではないかと思って声をかけると、薄く目を開けてまた寝出すという感じのネコである。

老猫のロン。普段は死んだように寝ている。

先日、たまたまロンが足を少し引きずりながら歩いている姿を見て、8歳の娘が「ロンが生きてるなんて珍しいね」と言っていた。珍しいも何も、毎日生きてないと死んでいることになるだろう! ルイス・キャロル作の『不思議の国のアリス』には、ニヤリと笑った口だけを残して消えていくチェシャー猫の話が出てくるが、さすがにオックスフォードのネコといえども、ときどき生きてるという芸はできないはずだ。

ついでながら、クライストチャーチのダイニングホールに行く機会があれば、ステンドグラスの一角にアリスの姿が描かれているので探してみてほしい。アリスの物語を作ったルイス・キャロルはペンネームで、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンと言う。彼はクライストチャーチで数学者として研究をする傍ら、クライストチャーチの学寮長の娘たちと遊んだり、当時新しかった写真撮影に入れこんだりしていたようだ。学寮長の娘たちーーそのうちの一人はアリスという名前だったーーに語っていた話がアリスの物語になったことはよく知られている。

クライストチャーチのダイニングホールに飾ってあるドジソンの肖像画。

さらについでながら、上に出てきたネコの名前のロンやハリーは、もちろん『ハリー・ポッター』の登場人物にちなんだものだ。クライストチャーチは映画の撮影にも使われたため、そのショップには、アリス関連のグッズと並んでハリー・ポッター関連のグッズも多い。ただ、残念ながらまだダイニングホールのステンドグラスにハリーたちの姿はない。あるいは、少なくともマグルには見えない。

クライストチャーチのダイニングホール。一部のステンドグラスにアリスや白ウサギの姿がある。ただし、この写真を拡大したり目を凝らしたりしても普通の人間には見えないだろう。

ギルバート・ライルは前回も触れた『心の概念』を1949年に公表したが、活躍しだしたのは戦前のことである。彼は、1920年代半ばにオックスフォードのクイーンズコレッジでフェローになったあとにドイツ語を学び始め、当時のドイツ哲学を真面目に研究するようになった。当時、彼が「ボルツァーノ、ブレンターノ、フッサール、およびマイノング」という講義を提供したところ、その哲学者たちの名前の響きから、学生たちはその講義のことを「ライル先生による、オーストリアの3つの駅と中国のサイコロ遊び」と呼んでいたという逸話がある[1]

それはともかく、ライルはドイツ哲学でもとくに現象学に注目していた。彼の「現象学」(1932年)という論文はつい最近翻訳がなされたが[2]、ついでに訳してほしいのが「現象学 対 心の概念」という1962年の論文だ[3]。この論文を読むと、ライルが現象学を「心の哲学」と呼び、また逆に自分の研究も現象学と呼べると書いており、彼が自分の研究を現象学およびバートランド・ラッセルやルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインらの研究との関係でどのように位置づけていたかが窺えて興味深い。

その論文の中で、ライルは次のような思い出話をしている。自分がかつて生徒だった頃に、すべての能動的動詞(active verbs)は行為を表していると習った。たとえば、「穴を掘る」「歩く」「建てる」といった能動的動詞は行為を指し示していると考えられる。それと同じことが能動的動詞のすべてについて言える、という発想である。しかし、ライルに言わせるとこれは明らかに無理がある。たとえば、「寝ている」「死につつある」「所有している」などは行為ではない。また、心についても、「計算する」「熟考する」「思い出す」などは行為であるが、「信じる」「知っている」などは行為ではなく、むしろ傾向性(disposition)またはアリストテレスの言うヘクシスである。冒頭の「ロンが生きてるなんて珍しいね」という発言も、おそらくライルなら、「生きている」という状態を指す動詞を、行為を指す動詞と混同して使用した例と指摘するだろう。

ライルの考えでは、こうした行為と傾向性の区別は日常言語を注意深く分析すればわかるものである。しかし、そのような区別をすることなく、心が「信じる」という神秘的な行為をしていると考えることは、心を「機械の中の幽霊」として、実体化して捉える誤りを犯すことになる。これがライルの基本的な発想だ。しかしライルの哲学についてこれ以上は立ち入らず、話題を変えてオックスフォード大学の哲学教育について話したい。とはいえ、まだライルには舞台に残っておいてもらおう。

ライルは1900年8月19日生まれで、1976年10月に76歳で亡くなっている。イギリスの南にあるブライトンで生まれ育ち、1919年にオックスフォードのクイーンズ・コレッジに入った。学部ではMods and Greatsと言われるギリシア語・ラテン語、歴史、哲学のコースで勉強した。このときの成績が非常に優秀だったため、新しく始まったPPE(Philosophy, Politics and Economics)のコースの最終試験を受けることになり、それも優秀な成績を収めて卒業した。ボート部にも入って活躍していたというから、文武両道だったようだ。Mods and GreatsやPPEについては次回以降に説明するが、PPEは現在話題の英国首相のボリス・ジョンソンも取った、歴史的に重要な学位である。

ライルの写真。現在の哲学科の建物1階にあるライルルームの外に掛けてある。なお、英国で1階というのは日本の2階のことなので注意。

ライルは第二次世界大戦前はクライストチャーチのフェローをしており、この時期に上で述べたようにドイツ哲学を研究し始めている。第一次世界大戦のときはまだ若かったために従軍せずにすんだが、第二次世界大戦中は軍隊に入り、後にオックスフォード大学で同僚となるH.L.A.ハートやスチュアート・ハンプシャーらと哲学の話をしながら諜報活動をしていた[4]。今後とりあげる哲学者の多くはみな戦争体験があってそれぞれ興味深いのだが、それもまた機会があれば話したい。

クライストチャーチの中庭。ライルは戦前はクライストチャーチでフェローをしていた。

戦後、彼がオックスフォードに戻ってくると、ウェインフリート形而上学教授だったR.G.コリングウッドが戦争が終わる頃に亡くなったため、ライルはその後釜としてフェローから教授に昇進した。

ウェインフリート(William of Waynflete)というのはモードレン・コレッジの創設者であり、ウェインフリート形而上学教授とはオックスフォードの由緒ある哲学の冠教授の4つのうちの1つである[5]。しかし、こういう冠教授というのはオックスフォードの外に出ると理解されにくい場合もあったようで、海外の大学でライルが講演をするさいには、次のように紹介されることもあったそうだ。

「えー、本日は、オックスフォード大学から2人の演者をお招きしております。こちらは有名なアームソン氏で、またこちらは、同じく有名なウェインフリート教授であります。」[6]

前置きが長くなったが、ライルがウェインフリート教授になってからすぐに着手したのがB.Phil学位の創設である。

モードレン・コレッジ。ウェインフリート教授になると、このコレッジの所属になる。なお、多くのコレッジでは学生がいない期間、旅行者は割と安い値段で宿泊できる。

私の知る限り、残念ながらライルの奇人度はそれほど高くない。ライルは生涯独身だったが、ジェーン・オースティンの6つの小説を毎年繰り返し読んでいたという話や[7]、彼の軍人風の語り口が彼の学生で分析的マルクス主義者のジェリー・コーエンによって真似されているぐらいだ[8]。「西洋世界の哲学の中心の〔そのまた〕中心にいた」人物は[9]、それほど奇人ではなく、むしろ常識人だったように思われる。『心の概念』を中心とする業績や、長く哲学雑誌の『マインド』の編集長を務めた点も評価すべきだが、とくにオックスフォード哲学興隆の礎を築いたという点に注目すべきだろう。そこで次回から、オックスフォード大学の哲学教育について少し詳しく話をしたい。

 

[1] Ryle, Gilbert, “Autobiographical”, Oscar P. Wood and George Pitcher eds., Ryle, Macmillan, 1970

[2] ギルバート・ライル(青柳雅文訳)「現象学」『立命館大学人文科学研究所紀要』vol.101、2013年、193-213頁

[3] Ryle, Gilbert, “Phenomenology versus ‘The Concept of Mind’”, Collected Papers Volume 1: Critical Essays, Routledge, 2009, pp.186-204

[4] ライルとハートがMI5にいた話は、下記。David Sugarman and H. L. A. Hart, “Hart Interviewed: H. L. A. Hart in Conversation with David Sugarman”, Journal of Law and Society, 32.2, 2005, pp.267-293

[5] ちなみに、あとの3つはワイルド精神哲学教授、ホワイト道徳哲学教授、ウィカム論理学教授である。ウェインフリート教授がモードレン・コレッジのポストであるように、他の3つのポストもどこかのコレッジに紐付いている。

[6] Owen, G. E. L., “Gilbert Ryle”, Proceedings of the Aristotelian Society, vol.77, 1976, pp.265-270

[7] Strawson, Peter, “Ryle, Gilbert”, Oxford Dictionary of National Biography, 2004 ライルはジェーン・オースティンの道徳観を哲学者のシャフツベリ卿のそれと比較した論文も書いている。Ryle, Gilbert, “Jane Austen and the Moralists”, Collected Papers Volume 1: Critical Essays, Routledge, 2009, pp.286-301

[8] YouTube参照。当人の語り口もYouTubeで見られる。https://www.youtube.com/playlist?list=PL6E5DFF49819D2DF4 また、コーエンの最終講義でライルの逸話が紹介されているので、関心があればそちらも参照されたい。Cohen, G. A., Finding Oneself in the Other, Princeton University Press, 2012, ch.9

[9] Strawson, Peter, “Ryle, Gilbert”, Oxford Dictionary of National Biography, 2004

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著者略歴

  1. 児玉 聡

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。現在、オックスフォード大学にて在外研究中。
    主な著書に『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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