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きた道アメリカ、オモテウラ

Make America Great Again?  錆びついたロックンロールの街・クリーブランドの今を訪ねて

ラストベルトへの旅がトレンド
――次の旅はどこに行くべきか。
 2017年、アメリカにやってきて数ヶ月経過した私が人気の旅先を調べてみると、どうやらラストベルトの都市が最近のトレンドらしい。トランプ大統領就任の年のことである。ラストベルトは、「錆びついた工業地帯」といわれ、この衰退した地域の人たちの疲弊がトランプ大統領誕生の原動力となったなどと、寂れた小さな町の風景とともに日本でも報じられていた。それだけに、かなり意外だ。
 けれど、世界的旅行誌Lonely Planetの2018年に行くべき世界の都市ベスト10にはミシガン州デトロイトがアメリカの都市として唯一ランクイン。Vogueに至っては、「Making America’s Rust Belt Shine Again(アメリカのラストベルトをもう一度輝かせる)5つの工業都市」というトランプ大統領のスローガンのような記事をリリースしていた。ともかくもラストベルトへの旅をバケットリストに入れておいた。
 翌年の夏、National Geographic Travelerの2018年行くべき場所<カルチャー部門>にランクインしていたクリーブランドに立ち寄ることにした。ルート66の旅に出るため、自宅からスタート地点シカゴに行くちょうど中間地点がこのラストベルトのクリーブランドだったのだ。調べるとその日は、たまたまアートの祭典トリエンナーレの初日だという。ダウンタウンのホテルは何ヶ月も前だというのに高額ホテルしか残っていない。これは本当に生まれ変わっているのか?と、期待半分、不安半分で出発の日を待った。

トリエンナーレのオープニングイベントへ
 ワシントンD.C.郊外の自宅から北東へ走ること500km、五大湖のほとりにあるクリーブランドに到着した。街の中心地の少し手前で州間高速道路を降り、目抜き通りユークリッドアベニューの一本裏の道をホテルを目指して少し東に折り返すように走る。中心地のホテルがあまりに高かったので、少し外れたエリアに宿をとったのだ。沿道には”Shine Again”とは程遠い、寂れた風景が広がる。
 ホテルに荷物を置くと、路面電車に乗ってさらに東へ。トリエンナーレのオープニングイベントが行われている会場へと向かった。電車の中にはさまざまな人種の人が乗り合わせて混雑しており、大都市の夕方らしい光景だ。
 程なく美術館が立ち並ぶエリアに到着した。美しく再開発されたアート・ディストリクトだ。人々が交代で記念写真を撮っている大きな手のオブジェの広場前はイベントのために車両通行禁止になり、子どものアート体験のテントやステージが路上に組まれていた。娘も早速アート体験に参加して楽しんでいる。

   

 前方に目を移すとちょうどステージではライブが始まったところだった。だが……残念なことに閑散としているのだ。トリエンナーレといえば、世界各地で行われる3年に一度のアートの祭典だ。日本での開催も多くの人を動員し、そのオープニングイベントともなれば人で賑わうものだと思っていた。少なくとも、ワシントンD.C.でこのようなイベントがあれば、路上が人で溢れかえり、歩くのにも大混雑、飲み物を買うにも長蛇の列になることは間違いない。
 しかし、ここにはあまり人がいないのだ。ステージの前の椅子も空席ばかり。アートによる街の再生に力を入れているというクリーブランドのアートのビッグイベント、しかも夏休みの土曜日の夜でこの状況なのかと、ため息をつきながら、早々に切り上げ夕飯に向かうことにした。

 アメリカでも北側に位置するラストベルトの都市はビールが名物だ。クリーブランドにも30軒の醸造所が名前を連ねるブリュワリー・パスポートがある。今回夕飯のために立ち寄ったのは大学の建物の中にあるThe Jolly Scholarという店だ。学生向けのパブようで手頃な値段で食事と地ビールが楽しめた。

美しきアーケードの空虚
 翌日はホテルを早々にチェックアウトして、ダウンタウンのカフェで朝食を取ることにした。確かに、ダウンタウンは綺麗になっており、さらにまだ再開発進行中という感じだ。私たちが朝食をとった建物も、外側には足場が組まれ外装のリノベーション中のようだ。ゆったりとして居心地の良いカフェで、広々とした店内は混雑しているわけではないがポツポツとお客が入ってくる。

 簡単な朝食をとった後は、1890年開業のアメリカ最古の屋内ショッピングモール“ジ・アーケード“を訪れることにした。多くのお店が開店前であったが中に入ることはできた。ガラス張りの天井と、アール・デコ調の金属製の細工を施したバルコニーが美しい、歴史を感じる建物である。一見の価値ありだ。

 19世紀後半といえば、アメリカがイギリスを抜き世界一の工業国「世界の工場」となった時代で、その中心の一つがこの五大湖周辺だ。ラストベルトが輝いていた頃である。2001年に6000万ドルをかけてリノベーションされ、現在は高級ホテルが上層階に入る街のランドマークとなっている。
 とはいうものの、実際に歩いてみるとやはり空きテナントが目立つことは否めない。

ロックン・ロールの殿堂を訪ねて
 なんだかうら寂しい気持ちで中心地からエリー湖沿いに移動すると、この街一番の見どころ「ロックン・ロールの殿堂」がある。ロックン・ロール・ファンのみならず多くの人が一度は聞いたことがあろう「殿堂入り」のあの殿堂である。クリーブランドは音楽用語としての「ロックン・ロール」という言葉が生まれた場所なのだ。ミュージアムとなっているピラミッド型の建物を据えた敷地の入り口には、「ロックン・ロール誕生の地」と書かれた、見た目にはどこにでもあるような立て札が立っている。

   

 1951年にラジオDJであったアラン・フリードが、アフリカ系アメリカ人(黒人)の音楽のR&Bを「ロックン・ロール」と名付けラジオでかけ始めたこと、翌1952年には初のロック・コンサートを開催するも中止となったことが書かれている。これがいかに「ロックな」出来事だったかを理解するには、歴史的背景を考える必要があるだろう。キング牧師が「私には夢がある。いつか、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく、人格によって評価される国に住むことを」と演説したのは1963年のこと。フリードの「ロックン・ロール」はその10年以上も前である。住む地域も、行く学校も、泊まるホテルも、バスで座る席も何もかも人種によって分けられていたセグリゲーション(人種隔離)の時代だ。ラジオも白人DJは白人向け番組で、白人向け流行歌を流すものだったようだ。自由と権利を求めて声をあげれば、白人であろうともリンチされ殺されるその時代に、フリードは白人向け番組でR&Bを流し、白人も黒人も集まる人種を超えたコンサートを開こうとしたのだから命がけのロック魂である。
 中に入ると、歴史や地域、ミュージシャンごとの様々な展示を観ることができた。この街にきて、ここが最も混雑している。ところ狭しと並べられた衣装や楽器、特にギターは圧巻だ。上の階に上がっていくと、殿堂入りしたミュージシャンたちのプレートが貼られているエリアにきた。もちろん、第1回目の受賞者の中にフリードの名前がある。

アフターアワーズ
 旅先として考えてみれば、確かに良い街だった。もっと時間があればミュージアム巡りも良いだろう。スポーツも一通り楽しめる。今日もクリーブランド・インディアンズ対ニューヨーク・ヤンキースの試合があり、先発は田中将大投手だったせいか、ヤンキースのTシャツを着ている日本人も見かけた。多文化の入り混じる労働者の街トレモントも近年新たなレストランやショップが進出して注目を集めているらしい(日本でも懸念される労働者の街のおしゃれ系再開発は元の住民を外に押し出し、街の中流化を進めており、私にはうんざりという感じだけれど)。
 一方で、トリエンナーレのイベントや、アーケードの空き店舗をみると再開発も空虚な美しい箱作りのように思えてくる。この街の貧困率は高止まりしており、実に3人に1人が貧困状態という状況だ。この街に流れ込んだマネーはどこに行ってしまったのか? 1%の富豪が世界の富を独占する今の経済を思いながら、クリーブランドに別れを告げ、次の目的地シカゴへ向かった。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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