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残余の声を聴く――沖縄・韓国・パレスチナ

残余の声を聴く 序論 早尾貴紀

1 民主主義の終わり?

 いま、この現在地はどのような局面にあるのだろうか。世界の各国では、リベラリズムにもとづく民主主義が行き詰まり、排外主義的な傾向を強めているように見える。移民・難民を受け入れる側になる経済大国の反動化、「自国民第一主義」の流行は象徴的だ。他方で、そうした大国による、アジア・アフリカ・ラテンアメリカへの政治経済的な介入の仕方もまた、民主主義を軽視し、むしろ帝国主義的様相を見せている。日本もまた例外ではない。
 その日本社会の現状を概観すると、2015年の安全保障関連法により集団的自衛権の行使が合法化され、同盟国(つまるところ米軍)への軍事的な協力、すなわち海外派兵が可能になった。2017年には事実上の「共謀罪」である「テロ等準備罪」が成立。そして、憲法9条改定も含めた改憲が具体的な日程にのぼってきている。改憲を進める与党・自民党は、自衛隊が憲法違反を問われることのないよう、軍隊を持つことのできる国家へと変えようとしている。同時にこの自民党の改憲方針には、戦後民主主義における「行き過ぎた個人主義」を「是正」すべく、「家族主義」と「愛国心」の強調が盛り込まれている。つまり、個人単位の社会保障を切り縮め、家族間の相互扶助にまかせつつ、国民が国家に貢献することがいっそう求められるようになる。平和と自由を追求した(実現したとは言わないが追求はしていた)はずの「戦後民主主義」は挫折し潰えようとしているように見える。
 沖縄における米軍基地建設をめぐる状況もまた、民主主義の破壊を表わしている。度重なる沖縄知事選挙(2014年、2018年)、衆参国会議員選挙、そして県民投票(2019年)などによって、何度投票で基地建設に反対する沖縄の民意を示そうとも、日本政府は基地建設の方針を変えることはなかった。「憲法番外地」と呼ばれる沖縄県の状況は、中央政権による民意無視が露骨になってきたことで、むしろこの数年でより顕著になってきたように見える。
 他方で、この「タカ派」安倍内閣による改憲・戦争への傾斜に対して、「ハト派」平成天皇の護憲・平和への訴えがしばしば対置され、いわゆる左派・リベラル派とされる反戦・反改憲の立場の人びとが平成天皇を礼賛するという現象が多々見られている。ここにも「戦後民主主義」の自滅が露呈している。天皇制そのものがもつ身分制と男女差別という民主主義との矛盾、天皇主権のもとで行なわれた戦争に対する責任の問題、この二点で天皇制そのものの廃止が「昭和」の時代には問われ続けたはずだ。それが「平成」の30年間で霧散してしまったかのようだ。代替わりによって平成天皇は言動の自由を得たかのごとく、「お言葉」を連発し「戦没者慰霊の旅」を重ねたが、憲法で制約された「国事行為」を越えたそうした自発的な言動が批判されることなく、むしろ平和の使者として神格化され、最後には自らの意志で「生前退位」を実現させるという超法規的な在位の完結を見せた(一回限りの特例法によるが反復可能性・普遍性のない法は法とは呼べない)。
 こうして日本社会は「令和」という時代を迎えたが、多くの言論人・知識人が代替わりに際して、新旧両天皇を賛美する見解をメディア上で示した。日本社会の批判的知性は圧倒的なナショナリズムを前に押し流されてしまったのだろうか。それとも代替わりを歓迎する世論に迎合しているのだろうか。あるいはそもそもこの程度で天皇制になびくぐらいに脆弱だったのだろうか。
 この「令和」という元号をめぐっては、二つの正反対の兆候を示していることが指摘されている。一つには、この元号が安倍首相の強い指示で「国書」である『万葉集』を出典として考案されており、そのことについてこれでもかと言わんばかりに、首相自らが前面に立って「初の国書」=「脱漢書/脱中国」を強調した点だ。これはあからさまな政権による天皇制の政治利用であり、露骨な国粋主義の発露である。これもまた、不法とまでは言えないにせよ、天皇制を政治的にあえて無力化したはずの戦後民主主義の理念に反する行為であることは確かだ。しかし、にもかかわらず、この首相の反動的な言動は批判に晒されるどころか、新旧天皇礼賛と「令和フィーバー」とまで言われる熱狂状態のなかで、むしろ政権支持の強化につながってしまった。
 もう一つの、この対極を示す兆候についてはのちに触れよう。

2 雑音、抵抗としての「残余の声」

 率直なところ、私としてはこうした現状を思想的な後退、ほとんど惨憺たる頽廃であると認識している。しかし、ここでただ絶望しているわけにはいかない。もちろんこの状況を打破するような策や希望があるわけではないが、少なくとも目を向けるべきこと、考えるべきことがいくつかあるように思う。
 一つには、どのようにして、いつからこの状況が生じてきたのか。その背景、原因への分析的な視角である。そこには日本社会に対する分析だけではなく、その変化を世界の同時代史のなかで位置づけることも必要だろう。なぜ、何が、どう後退なのかも、関連する具体的な地域との比較から見える大事なことがありうるからだ。
 もう一つは、この圧倒的な時代の流れのなかでかき消されてきた、かき消されつつある「残余の声」に耳を傾け、それを拾い上げることである。どれだけ大きな流れが、ときに濁流のように襲ってきたとしても、あるいは全体主義のように周囲にじわじわと浸透してきても、それでもそれに抗う小さな声はどこか奥底できっと響いている。もしかするとその声は、誰にも聞き届けられずに消え去ってしまうかもしれない。あるいは、一人の声だと思ったものが、実は無数のサイレント・マジョリティーの声の象徴であるかもしれない。あるいはそれは、明確な声や意志にもならず、何かの雑音や拒絶反応といったものであるかもしれない。それに耳を傾け拾い上げることで、何かしらの抵抗を示すことができるだろう。
 たとえば「令和フィーバー」のさなかに響く「雑音」として、張衡『帰田賦』(2世紀頃)がある。『万葉集』研究者によって指摘されたように、出典となった一節「初春令月、気淑風和(初春の令月にして、気淑く風和ぎ)」は、『帰田賦』の一節「仲春令月、時和気清(仲春の令月、時は和し気は清む)」を借用して詠われたとされる。そもそも万葉集の全体が漢文で書かれており、中国の数々の漢籍の漢詩を学ぶことで成立している以上、「令和」に漢籍の典拠があるのはむしろ当然のことでしかないのだが、首相による「初の国書」「脱中国」の強調とは裏腹に、どれだけ日本文化が中国や朝鮮との歴史的な交流のなかで形成されてきたのか、漢詩の通底音が響いているのが聞き取れたことはその見事なまでの証左となっている。
 さらに、ちょうどこの5月1日の改元を挟んだ時期に、日本の各地で映画「金子文子と朴烈」の上映がなされ、主にミニシアターにおいてではあったが一定数の観客を得ていることは、偶然にしては出来過ぎのタイミングに見える。2017年に韓国で制作されたこの映画で描かれる二人、朝鮮人の朴烈と日本人の金子文子のカップルは、反植民地主義者・無政府主義者にして反天皇主義者であった。そして天皇暗殺の嫌疑で「大逆罪」を適用されて1923年に死刑判決を受けるが、この伝記的映画のなかでも繰り返し天皇制批判のセリフを二人は口にしていた。そして二人は、死刑判決後に「天皇の慈悲」による無期懲役への減刑という恩赦をも強い意志でもって拒絶した。この映画が、2019年2月から日本各地で上映され始め、5月1日を挟んで現在も続いている。すなわち、日本社会のほとんどのメディアが改元だ、新旧天皇の交代だと浮かれているまさにその時期に、天皇制批判を公然と唱える主人公の映画が一定数支持されたのだ。金子文子の獄中自伝そのものはまさにそうだが、この代替わりの熱狂のなかでこの映画に足を運ぶ人びともまた、抗う声を持っているのではあるまいか。
 あるいは、私の個人的な回顧になるが、宮城県に在住だった1992年に、その宮城県から元「従軍慰安婦」であった在日朝鮮人の宋神道さんが実名でカミングアウト、翌1993年に日本政府を相手に謝罪と賠償を求めて訴訟を起こした。その年に私は地元の宮城県の大学に入学したこともあり、この実名告発には学生の時分には強い衝撃を受けた。宋さんの講演を聴き、宮城県からこの裁判傍聴に継続して参加することとなった(東京地裁・高裁)。戦争の記憶と証言の問題、植民地支配と民族差別の問題、戦時性暴力と日常的性差別の問題、これらすべてが自分の意識の内部に入ってきた。この宋さんの証言こそ「残余の声」であった。日本の裁判所は結局この声を聞き届けることはなかったが、少なからずの人びとがこの声を汲み取り、それぞれ自分や社会を変えていくこととなった。
 この全体主義的とも言える頽廃状況のなかで、悲観して絶望するのでもなく楽観して希望を語るのでもなく、まずは小さな雑音、抗う声を聴くこと。それこそが大切であり、そこからしか何事も始まらないと思う。

3 転換期としての1990年前後

 もう一つ先に挙げた可能性と課題は、時代背景への分析的な視角、世界の同時代史のなかで位置づけであった。どんなときにも冷静な分析的な眼差しは必要であり、研究者として私たちができることもそれだろう。
 改元のこともあって、ここのところ1990年前後のことを考えることが多い。昭和天皇の死去が1989年であり、「平成」の時代が始まった。戦時の主権者であり戦争遂行の総責任者であった昭和天皇が去り、1995年には「戦後50年」を迎え、日本社会のマジョリティは「もはや戦後ではない」「未来志向」と語りはじめた。すなわち、もう「昭和」は終わった、そして「半世紀」は節目だ、もう戦争責任のことは言われたくない、というわけだ。
 その同じ1989年に米ソ首脳による冷戦終結宣言がなされた。日本が「平成」というまどろみに落ち込み、歴史に目を閉ざし、自閉したナショナリズムを煽り立てているあいだに、世界は東西イデオロギー対立による膠着の時代の末期から、つまり1980年代末から1990年代にかけて大きく動きだしていたように思う。冷戦という「大きな物語」が終焉し、その重石が外れたことで抑圧されてきた無数の「小さな物語」が表面化したからだ。
 韓国では、1987年に軍事的独裁体制が終わり民主的選挙によって大統領が選ばれ、その次の1992年の選挙以降は文民出身の大統領となった。それまで冷戦期のアメリカ合衆国側陣営のもとで許容された軍事政権が同陣営の日本政府との合作で封じ込めた元「慰安婦」や元徴用工の訴えが、1990年代以降に噴出してきたのには必然的理由があるのだが、日本政府は頑なに歴史に目を閉ざしつづけている。(ちなみに台湾の戒厳令の解除も1987年、総統の民主的選挙は1996年で同時期だ。政権交代も繰り返されている。1990年前後から民主主義がダイナミックに動きだした韓国と台湾に対し、顕著に保守化していった日本は対照的だ。)
 沖縄では1995年の米兵による少女暴行事件がきっかけとなって、「島ぐるみ」の反基地運動が展開されてきた(「島ぐるみ闘争」という言葉そのものは1956年に米軍統治下での軍用地をめぐって起きた運動に由来する)。沖縄の側の米軍基地に対する批判、そして何よりその米軍基地を日米安保条約のもとで受け入れかつそれを沖縄に押し付けている日本政府に対する反発が大きく結集したが、国政のほうではポスト冷戦で、反戦・反基地を訴えるはずの左派勢力が完全に退潮。沖縄の声を受けとめる基盤がなく、冒頭で触れたように沖縄の反基地の民意がどれだけ集会や投票や署名で示されようと、数の力と権力で黙殺され押し切られるということが繰り返された。暴行事件・県民集会から四半世紀にもなるが、米軍基地問題について日本政府は何の進展も示すことができていない。
 ところで、地域は海外に飛ぶが、パレスチナでは1987年にイスラエルによる軍事占領地であるヨルダン川西岸地区とガザ地区の内部から民衆蜂起による抵抗運動「インティファーダ」が発生した。占領地内での抵抗運動の組織化に手を焼いたイスラエル側は、折しも1991年の湾岸戦争でのイラク支持をきっかけに孤立していた海外拠点のPLO(パレスチナ解放機構)を「パレスチナ暫定自治政府」としてパレスチナ占領地に呼び戻し手なずけたが、イスラエルは軍事占領を終わらせるつもりなど微塵もなかった。この1993年のオスロ和平合意でイスラエルともアラブ諸国とも気兼ねなく貿易ができると諸手を上げて歓迎した日本政府は、占領のコストを「経済援助」の名目で肩代わりしてきたが、合意から四半世紀、パレスチナに平和や自治が訪れるどころか、軍事占領は後戻りできない泥沼状態に陥っている。
 こうした現在のさまざまな問題は、1990年前後のグローバルな政治的・社会的変動で生じた枠組みによって発生し、そしてその枠組みになお規定されているように思われる。日本社会の停滞は、左派・進歩派の衰退によって全体として政治的に保守反動化しただけにとどまらず、多くの日本人が(老若を問わず、そしてリベラルであるはずの知識人までが)日本の周縁のあるいは日本の外部の変化に目を閉ざし、時代遅れとなった無根拠な優越意識だけを残存させたまま内向化してしまっているためではないだろうか。

4 三点観測

 したがって、私たちの当面の課題は、日本の周縁に、あるいは日本の外部に響く「残余の声」を聴くことである。その際私たちは、「沖縄・韓国・パレスチナ」の三地点から、現代史のある局面をそれぞれの切り口から描くだろう。たんなる状況分析ではなく、歴史的視座をもち植民地主義/ポスト植民地主義の流れのなかでの情勢の変化やその歴史的意味を探る。三地点であるのは、ひとまずは三点観測(三角測量)を意識してのことであり、それは二点ではなく三点の比較考察にすることで正確な位置関係が測量できるからである。執筆者は、沖縄在住で在日朝鮮人の文学者である呉世宗さん、韓国のソウル在住で在韓在日朝鮮人の歴史社会学者の趙慶喜さん、そしてエルサレム在住経験がある日本人でパレスチナ/イスラエル研究者の私、早尾貴紀の三人である。
 またひとまずこの連載の副題は、「沖縄・韓国・パレスチナ」としてあるが、もちろん日本、朝鮮(分断前の朝鮮半島および分断後の朝鮮民主主義人民共和国)、イスラエルの声も響いてくるだろうし、その他の地域とのあいだの交流や干渉も響いてくるだろう。この三点観測を基礎としつつ、多角的な分析を意識することで、何より日本社会こそが逆照射されることになるだろう。
 この連載は、呉さん、趙さん、早尾の3人によってリレー方式で月1回の掲載で1年間進められる。四つの共通テーマのもとでそれぞれ三人が1回ずつ執筆するので、合計12回の連載(12カ月)を予定している。

1巡目のテーマ「島(辺境)/主体と他者」
2巡目のテーマ「現代的暴力の所在」
3巡目のテーマ「歴史認識と過去の清算」
4巡目のテーマ「ディアスポラ論から見る」

 この連載を進めながら、あるいは4巡12回が終わったときに、どれだけの「残余の声」を聴き届けることができ、そしてどのような三点観測が得られるのか、それは執筆者三人にとってももちろん定かではない。ただ、このようなあまり前例のない共同作業としての三点測量が、少しでも新しい視角をもたらすことができればと願っている。

【参考文献】
新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書、2016年)
伊藤智永『「平成の天皇」論』(講談社現代新書、2019年)
呉世宗『沖縄と朝鮮のはざまで――朝鮮人の〈可視化/不可視化〉をめぐる歴史と語り』(明石書店、2019年)
金子文子『何が私をこうさせたのか――獄中手記』(岩波文庫、2018年)
在日の元慰安婦裁判を支える会編『オレの心は負けてない――在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい』(樹花舎、2007年)
品田悦一『万葉集の発明――国民国家と文化装置としての古典』(新曜社、2001年)
趙慶喜「ポスト冷戦期における在日朝鮮人の移動と境界の政治」(松田素二、鄭根埴編『コリアン・ディアスポラと東アジア社会』学術出版界、2013年)
文京洙『新・韓国現代史』(岩波新書、2015年)
サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ――パレスチナの政治経済学』(岡真理、小田切拓、早尾貴紀編訳、青土社、2009年)

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著者略歴

  1. 早尾貴紀

    1973年生まれ、東京経済大学教員。ヘブライ大学およびハイファ大学に客員研究員として2年間在外研究。パレスチナ/イスラエル問題、社会思想史。
    主な著書に、『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』(青土社、2008年)、『国ってなんだろう?――あなたと考えたい「私と国」の関係』(平凡社、2016年)。共編著に、『ディアスポラから世界を読む――離散を架橋するために』(明石書店、2008年)、『ディアスポラと社会変容――アジア系・アフリカ系移住者と多文化共生の課題』(国際書院、2008年)ほか。共訳書に、サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ――パレスチナの政治経済学』(青土社、2009年)、ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力――ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(平凡社、2008年)、イラン・パペ『パレスチナの民族浄化――イスラエル建国の暴力』(法政大学出版局、2017年)、エラ・ショハット、ロバート・スタム『支配と抵抗の映像文化――西洋中心主義と他者を考える』(法政大学出版局、2019年)ほか。

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